秋山清『日本の反逆思想』を読む

いやしくも、狂愚にあらざる以上、なんびとも永遠・無窮に生きたいとはいわぬ。しかも、死ぬなら天寿をまっとうして死にたいというのが、万人の望みであろう。一応は無理からぬことである。
 されど、天命の寿命をまっとうして、疾病もなく、負傷もせず、老衰の極、油つきて火の滅するごとく、自然に死に帰すということは、その実はなはだ困難のことである。なんとなれば、これがためには、すべての疾病をふせぎ、すべての災禍をさけるべき完全な注意と方法と設備とを要するからである。今後、幾百年かの星霜をへて、文明はますます進歩し、物質的には公衆衛生の知識がいよいよ発達し、一切の公共の設備が安固なのはもとより、各個人の衣食住もきわめて高等・完全の域に達すると同時に、精神的にもつねに平和・安楽であって、種々の憂悲・苦労のために心身をそこなうがごときことのない世の中となれば、人はたいていその天寿をまっとうすることを得るであろう。わたくしは、かような世の中が、一日も早くきたらんことをのぞむのである。

幸徳秋水「死刑の前」

 

日本の反逆思想 (秋山清著作集)

日本の反逆思想 (秋山清著作集)

 

図書館のあまり人のいない一角、個人全集の棚で「反逆」だの「テロル」だのの文字が目に入ったので手に取った。開いてみたら和田久太郎とか古田大次郎とか中浜哲とか、もちろん大杉栄の名前が出てきて、最近このあたり読んでないなと思って、読むことにした。

……読むことにした、のだが、明治・大正のアナキズム史的なものはわりといろいろと読んでいたし、「ああ、福田将軍暗殺失敗なあ」とか思ったのみである。埴谷雄高石川三四郎を訪ねた話もどこかで読んだっけ、とか。とはいえ、もしもまったくこのあたりのこと知らんなあという人には、わかりやすいガイドブックになるとは思う。ちなみにおれは著者の秋山清という人のことをなんにもしらない。

アナーキー。おれは阿呆なのでよくわからぬが、第2次世界大戦が終ったのちになんだかんだありながらもやってきた世界が、今、変わりつつあるのかなとも思う。それは疲労した世界が崩れ落ちるものなのか、このままではいけないと、よりよい方向に進むジャンプなのか。おれにはわからない。その先にアナーキーがあるかどうかもしらぬ。ただ、すくなくとも冒頭の幸徳秋水ののぞむ世界はまだ来ていない。まだ遠い。

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ちかごろどうも躁か鬱かでいえば鬱の周期に入っているようであって、本もあまり読めない。ものを書くこともできない。休日は寝ているばかりだ。まあ、そういう病気ではある。

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