半分くらい夢だとわかっていた。一匹の三毛猫が半身を引きずるようにして目の前を通り過ぎていった。すこし長い縁側の向こうまで行くと、崩れ落ちるように座った。それは健康な猫の座り方でもなかったし、座った体勢もすこしおかしかった。そんな夢を見た。
携帯端末が音を出して、おれは目が覚めた。母からのLINEだった。弱っていた高齢の猫が旅立った、という話だった。
あの世へ旅立った猫の名前は「ピーちゃん」だった。ある日、父が会社の人から二匹の子猫をもらってきた。オス猫(すぐに去勢手術を施したが)は「ミー」、メスの三毛猫が「ピー」だった。どういう経緯か忘れたが、PHSのPが由来だったと思う。おれが中学か高校のころのことだった。
ミーはやや太り気味、ピーはちょっと細めの猫だった。とくに乱暴でもなければ、臆病でもなく、いかにも普通の猫だったと思う。ほかの猫のことはよく知らないけれど、典型的な猫だ、というように思っていた。おれは当然のことながら犬と猫ならだんぜん猫派、になっていった。
一家離散。いや、それ以前に家庭内が荒れることがあった。それでも、どこか猫がいるから最悪の自体(刃傷沙汰とか)にならないような、そんなところがあったように思う。子はかすがい、じゃあない、猫はかすがい、だ。いざ、家がなくなるとなったとき、おれと弟は一人暮らしすることになった。猫は猫で暮らします、というわけにはいかないので、両親が引き取った。よくペット可の物件を探したものだと思う。そしておれはそれ以来、ミーにもピーにも会っていなかった。
そのかわりおれは、道端で出会う猫のすべてはおれの猫だ、と思うようになった。二匹の猫に会えないかわりに、出会う猫はすべておれの猫だと思うようになった。そのようにした。かわりに自分で猫を飼う、というような願望は生まれなかった。飼うならあの二匹のほかいないだろうと思っていた。そしてあの二匹の猫にはもう会えないのだとわかっていた。
犬は人につく、猫は家につく、というが、二匹の猫は引っ越しても平気だったのだろう。ピーは何年生きたのだろう。おれが大学に入ったときにはもう飼っていたし、20年以上は確実だ。享年25、くらいかもしれない。このところ、急に弱ったという話を母から聞かされた。猫は暖かいところに張り付いて動かないのが常なのに、なぜかフラフラと寒い浴室に行ってしまうとか、水を飲む(なぜか二匹とも水道の蛇口から出る水しか飲まない、人を使役するぜいたくな猫だ)にしても、蛇口まで誘導しておいて、あとは流れる水を見るだけでぼーっとしているということだった。そして、昨夜死んだ。よく生きたと思う。家猫の寿命は長いというが、それにしたって20年以上生きた。とはいえ、猫のことだから、頑張って生きたとかいう言葉も似合わない。たまたまこの世で巡り合って、おれは途中で分かれてしまったけれど、猫なりに猫の命を全うしたのだろう。事故や酷い病気でもなく、やすらかな死であったことを感謝しよう。そして、ミーのさらなる長生きを願いたい。