睡眠導入剤を変えた。超短時間型から短時間型へだ。短時間といっても七時間内外の効き目があるので、睡眠一回分といっていい。
心理状況と睡眠の関係というのはよくわからない。不安に追われていると、寝ていても起きやすくなるのかどうか。悪い夢を見て深夜ガバっと起きる。ありえそうな情況には思えるが、実際のところどうだか。だが、おれは実際のところこのところ深夜や早朝に目がさめてしまうことが増えた。最初は正月ボケの後遺症かと思っていたが、そういう頻度でもないようだ。
おれは脳の病、すなわち双極性障害らしきものと、さらには睡眠時無呼吸症候群も患っているので、睡眠には気を使う。年もとったし、身体に無理もきかない。だから、一晩ぐっすりと眠れるようにと、睡眠導入剤の変更を希望したのだ。
……はっ、馬鹿らしい。どうせおれはそのうちおれを吊るすのだ。遠くないうちに吊るすのだ。吊るさなければいけない情況に追い詰められるのだ。おれが日中職場で眠気に襲われようが襲われまいが、薬の効きすぎで脳の働きが著しく遅くなろうが、もうなにも変わらないのだ。一日早くなるか、遅くなるか。
おれはこの社会にとって不要だからまともな金銭を恵んでもらえないし、居場所も与えられない。ここまで生きてこられたのも、親の残した残りカスと、いくらかの偶然にすぎない。そのカスも偶然ももう底をつく。遠からず、おれは追い詰められて、おれを吊るすのだ。
おれの考えでは、おれは二倍か三倍賢くなければこの世で生きる権利を与えられない。しかし、頭の悪いおれの見積が間違っている可能性が高いので、四倍から六倍賢い必要があるのかもしれない。あるいは、人間と人間のつながり、簡単に言えばコネのようなものがあれば、賢さもそこまで必要ないかもしれない。しかし、おれは著しくコミュニケーション能力に欠けるので、十倍から十五倍のコミュニケーション能力が必要とされるだろう。一匹で暮らせない。群れるのも嫌う。いずれにせよ、おれは金曜日の朝の生ごみよりも簡単に処分されるくらいの存在だ。
それが、生活のクオリティを気にするというのは、いかにもアホらしい話だ。本当に馬鹿げている。そもそも精神科に通ってどうするつもりなのだ。医者との会話もこのごろろは、仕事の景気の話を二言三言交わして、その精神状態は外的要因だとはっきりしてるからお手上げだね、となって、いつもと同じ薬でいい? で終わりだ。もしおれが二倍か三倍賢く、立派な企業か役所に勤め、まともな収入があり、貯蓄があれば、精神科などに通うこともなかっただろう。それとも、おれのように脳の欠陥を持った社会不適合者は、結局のところ大学に行こうが行くまいが、まともな就職をしようがしまいが病院通いだったろうか。その可能性が高い。
おれだって好きで双極性障害をやってるわけでもないし、抗精神病薬と大量の抗不安薬を飲んで生きたいわけじゃない。べつに高望みなんかしない。社会の底の片隅でひっそりと暮らせればそれでいい。だが、それも今や高望みの社会情勢だ。ここを生き抜くには、おれには何倍もの能力が要求されるし、おれにはその能力がない、能力を得ようという意欲がない。おれはなにもしたくない。たとえばそこに、呼吸すらしなくなった人間がいたら、それをなんと呼ぶ?