木偏に春夏秋冬。
木偏に冬で柊。ヒイラギというと冬らしいというか、クリスマスの飾りなど思い浮かんだりするが、あれはセイヨウヒイラギで別物。とはいえ、ヒイラギの枝にイワシの頭を刺したところを見たことがあるわけでもなく。
木偏に春で「椿」。春といっても旧暦ってのもあってか初春もいいところか。まあべつに春の花といってもいい。ちなみに、中国で椿というとチャンチンというぜんぜん違う植物を指す。『荘子』の中に齢八千年という「大椿」という語があって、ツバキも長寿だしってことで、そっから取ったという説と、先に「大椿」が入ってきてたけど忘れられて、改めて「春の木だな」ってことで作られた国字説とかある。どうでもいいか。
木偏に夏で榎。エノキといえば……とくに印象はないな。一里塚の目安に植えられていた樹。ちなみに、中国だとやはり別の植物を指す。じゃあ中国でエノキはなにかというと朴の字があてられる。面倒だ。
で、問題はあれだ、木偏に秋だ。楸(ひさぎ)だ。なんだこいつ。……アカメガシワかキササゲの別名とかいう。地味さは否めない。秋の代表だぜ。カエデにこの字でもあてておきゃよかったんじゃねえのか、とか思う。楓は中国だとフウで、これまた別物だし。
とか言ったところで、長い歴史の中の適当という強大な流れというものがあって、まあなんかそうなっちゃてるからそういう言葉がある。もちろん、それに逆らうも自由、従うも自由、ただし逆らうには少し面倒。そんな感じだろうか。なあ。