大場秀章『花の男 シーボルト』を読む

花の男シーボルト (文春新書)

花の男シーボルト (文春新書)

 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトはドイツの地方都市ヴュルツブルクで生まれた。オランダ語は即席で覚えたので、長崎の通詞に「おまえほんとにオランダ人?」と疑われた。高地ドイツ人という言葉が「山オランダ人」と訳されたおかげで日本に入れた。シーボルトスピードラーニングオランダ語を学ぶべきだった。石川遼だってそうしている。きっと、長崎の通詞も。
 著者は「シーボルトというと植物と関係ないんじゃ」みたいなことを世の中の人が思ってるんじゃないかと書いているが、そうだろうか。シーボルトといえばアジサイにつけようとした学名の逸話もあり、植物の人だろう。日本の植物の学名の命名者名にだってSiebold et Zucc.がたくさんある。え、Zucc.って? 『フロラ・ヤポニカ』の編纂に協力した解剖学、分類学にすぐれたツッカリーニ教授のことらしい。はじめて知った。
 はじめて知ったといえば、次のことである。

 園芸的価値のある野生植物の少なかったヨーロッパでは、そもそも露地植えできる園芸植物の数は限られていたのである。それというのも、今から一万年前ほど前にピークを過ぎた最後の氷河期(最終氷期)が、ヨーロッパ中央部に育まれた植物相を、壊滅に近いまでに破滅させてしまったからだ。

 これである。一万年前の氷河期のせいで、ロバート・フォーチュンはアオキの雄木なんぞに一喜一憂せなければならなかったのだ。そうだ、わりと寒い地方のある日本は、プラントハンターたちにとって、母国で露地植えできる植物の宝庫に違いなかった。そしてまた、逆輸入のような形でヨーロッパの花が日本に来たりもしている。あるいは、原産国南アフリカとか、中央アジアとか、少なくないはずである。いやはや。
 ヘンドリック・ヅーフ(ヘンドリック・ドゥーフ)の話をする。オランダ商館長だった人物である。かれは十八年日本で過ごした。初めて俳句を詠んだ西洋人ともいわれる。豆腐を振る舞われたとき、その包丁さばきに詠んだのが次の句であるという。

いなづまのかひなを借らん草枕(Inadsma no Kahina Okaran kusa makura)

 意味がよくわからない。よくわからないがそれらしい。スピードラーニングをやっていたのだろうか。
 このあいだ、シーボルトの直筆の手紙が云々という話があった。

 こうしてシーボルトの日本研究に従事する門人たちは、シーボルトが日本を離れてからも絶えることなく論文を作成し、提出することになった。つまり、完成した門人たちの論文はシーボルトの絵画助手であったフィレネーフェ(Carl Hubert de Villeneuve)の仲介でシーボルトに送る約束が交わされたのである。こうしてシーボルトは居ながらにして、日本各地の植物やその他諸事物に関わる情報を集めることができたのである。

 シーボルトのころ、シーボルトは日本各地を自由にうろうろすることができなかった。出島である。そこで、門人たちに課題を与え、論文を出させた。そして「学位免状」を与えた。これによって多くの知識を得ることができた。うまいことやったものである。まあ、本人としては自分の目で見たかったのかもしれないが。
 シーボルトの野望。野望といってはなんだが、まあ野望だろうか。日本の植物を普及させること。

 一方この時代、都市の形成が進み、公共の庭園である公園が各地に設けられ、市民が憩いの場とするようになっていた。シーボルトの時代に先立つ一八世紀は、こうした大規模な庭園造りがさかんに行われた造園の時代だった。

……多様な日本の植物からは用途に応じて様々な植物を供給することができた。さらに、四季折々を飾る花形の植物になる魅力も秘めていたのである。

……シーボルトの日本植物への確信は、ヨーロッパに帰国するに及んでますます確かなものになった。……このシーボルトの事業的野心を膨らませるに十分な潜在的資源性、いうならば日本植物の園芸的価値こそ、シーボルトが日本の植物に見出した偉大な発見なのである。

 シーボルトがヨーロッパにもたらした日本の(日本にも自生している)植物。アジサイレンギョウ、ツバキ、サザンカ、イタドリ……、イタドリ? 世界の侵略的外来種ワースト100じゃないですか(ちなみに著者はクズ、スイカズラ、イタドリを「御三家」と読んでいる)、そして、シキミ、コウヤマキ、キリ、ウメ、ユリ、ボタン……と。

 一八ニ六年に、あるひとりの植木屋が、高さわずか八センチほどの花のついた低木を分けてくれた。この園芸の傑作は、日本人が帯に挟んで持ち歩く薬箱に似た、三段式の漆塗りの小さな箱に入っていた。上段にはいわゆるウメが、中段にはこも小さなマツ、そして下段には高さがやっと四センチほどのタケが植えられてあった。

 こんなふうにシーボルは書き記している。松竹梅。なかなかにいい。
 まあそんな話である。シーボルトが最後まで手元に置いていたという日本の植物の彩色画などはロシアの帝室アカデミーの手に渡ったそうだ。マキシモヴィッチ。マキシモヴィッチも花の男だったろうか。花とはちと違う感じもする。よくわからない。まあいい。プラントハンターというのは、なにか魅力ある人々だ。おしまい。
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