『ゼロからトースターを作ってみた結果』を読む

 

ゼロからトースターを作ってみた結果 (新潮文庫)

ゼロからトースターを作ってみた結果 (新潮文庫)

 

 A プラグをコンセントに刺すタイプの電気トースターでなければならない。

 B 2枚のパンを両面同時にトーストできなくてはならない。

 C 一般的に「ポップアップ・トースター」として認識されているものでなければならない。

D トーストする時間を調節できなければならない。

 以上のルールでもって、「ゼロ」からトースターを作る。その「ゼロ」というのは鉄鉱石から鉄を、原油からプラスチックを作らなくてはならない、そういうものである。ホームセンターに行ってはいけないのである。タイトルからしてDPZあたりの企画のようだが、まさにそのような企画であって、そのような企画のようにおもしろい本である。そして、お察しの通り、これは現代の生活に対する一種の鋭い視線をはらんでいる。

 個人の知識や能力と、専門家が作る製品の複雑さとの間にあるギャップは広がるばかりだ。僕たちが、身のまわりのものを自分たち自身で作ることができなくなってから、長い年月がたつ。少なくともそう思える。だけど、それはどうなんだろうか。

―プロローグ

 これに尽きる。それはどうなんだろうか。まさしくそうである。たとえば、おれがタイムトリップしていつかの過去に行ったところで、おれはその当時の技術を超えるなにかをなしうるだろうか。当時信じられていた科学的なものに対して、反証することができるだろうか。できやしない。そして、おそらくは、多くの現代人はそう思っているのではないか。それを、愚直なまでに実行してみせたのが、本書といえる。そして、技術というものが、大量生産というものが当たり前になっているが、実際のところそれは当たり前でいいのだろうか、という疑問に辿り着く。

 僕のような一般消費者にとって、トースターの一生は、店舗の商品棚で、あなたが、あるいは他の人が買ってくれるところから始まっている。つまり、それ以前の生産過程をまったく目撃していない。ゆえに僕たちはその商品につけられた値段に疑問を持たない(少なくとも、その安さには疑問をもたない)。

 でも考えてみれば、あのアルゴスのバリュー・レンジも数ヶ月前までは、巨大な鉱山・油田から掘り起こされた岩や油だったはずで、それを加工し、組み立て、梱包して送り、そして店舗で販売するには多くの技術的・物質的・人的コストがかけられている。それが3.94ポンドで売られているのは、どうにもつじつまがあわないように思える。

この感覚、よくわかる。それでももう、この世はそうなのだ。科学技術の確立、分業制、フォーディズム、なんだかわからんが、もうそうなっているのだ。それでも、やはりなにか腑に落ちないところもある。100円ショップ。これが100円。その製品の一部分だって自分には作れはしない。それでも100円。税込み108円。奇妙だ。

その奇妙さを本書は描き出している。それこそDPZのような文体で訳され、非常に楽しめる。結果はどうだったのか。もう少し細かいところはどうだったのか。気になるとこはあるにせよ、一読の価値あり、と言えなくもない。ちなみに、文庫版の解説はfinalventというはてな界隈で見かける名前の人が書いている。以上。