the end is near

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平均気温とともに死にたさが登り続けている。朝起きるのは相変わらずそうとうの苦痛を伴うし、会社にいてもやらなくてはならないことはやまづみなのに手が動いてくれない。寝付きは悪いし、かならず明け方に目が覚めてしまう。酒もちっとも美味しくないし、お腹の薬を飲んでいるのにお腹の調子も悪い。立ったり座ったりするだけでえらく疲弊する。なにもしたくない。寝ていたい。ただ、寝ているあいだ暑いのは嫌だし、エアコンが効いているのも少し苦手だ。

自分に命があるということに対する嫌悪感は毎日強まっていて、いっそのこと戦争でも起こってミサイルが脳天に当たって死んでしまいたいと思える。おれは非常事態を求めている。ただし、おれのために争ってくれるな。おれはおれが片付けなければいけない。おまえに言われんでもわかっとる。ただ、その勇気がないだけなんだ。

勇気は関係ないのかもしれない。精神科医に「自殺のことをよく考える」というと、「そういうのはフッと来ますからね」と言われた。「フッ」と来たときどうすればいいのかという話はしなかった。おそらく、無いのだ。そして、おそらくおれはそこらの人よりも「フッ」が訪れやすい状態にあって、それに抗う術はないのだろう。ただし、やりきることができるかどうかわからない。おれはホームセンターにロープを買いに行くのすら面倒だ。そもそもおれのアパートにはうまくロープを引っ掛けられる場所がない。いや、ドアノブで十分なのだっけ。

すべての自由は死にたい。おれが目を開けて見るものはおれの敵だ。おれはろくに賃金をもらえていない。社会のお役に立てていない。無能者は飯を食う資格もない。笑う資格も泣く資格もない。社会がおれを殺すのに十分な理由だ。おれは無言で社会に殺される。それはおれの敵だが、悪いのはおれだ。社会とおれは手と手を取り合って、これがまだ生きていることを糾弾する。糾弾して止むことはない。