「低身長は屈辱的なさらし者になっても所詮は社会的な劣等者だから黙って受け入れろ」と素直に言え

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おれはチビなので、これから書くことはゴミみたいなチビ虫が成長しないメンタリティできちがいじみた恨み言を書いていると思われるだろうし、そのとおりだとコメントされることだろう。

 

それをわかったうえで書くが、この記事についたたくさんのコメントには虫酸が走った。ただでさえ、低身長を馬鹿にされ、肉体的に弱く、人から見下される人間が、さらに「背の順」で晒し者にされる屈辱というものがある。身長など生まれがほとんどでどうしようもないことについて(これには早生まれの差も含まれる)、それを先生とかいうものの強制によって、さらに可視化され、わかりやすく、指差しやすくする。「あいつはチビだ」、「あいつもチビだし、こいつもチビだが、あれが一番のチビだ」。

 

「社会に出ても低身長のものは劣ったものとされるのだから、学校時代からそれをわからせるべきだ」という声もある。間違っているのは社会だとしても、それを「背の順」が強化している面もあるだろう。

 

何に劣っているかといえば、たとえば恋愛市場において男性の低身長は著しい不利であることは否めない。単に背の高い人間から見下されるという面もある。これが、進化心理学的に人間が本能的に判断することであったとしても、だからなんだ。内心そう思っていようが、無意識に判断しようが、そう口にしない、態度に出さない、制度にしない、それが差別しないということだろう。べつに優遇しろとも言わないし、恋愛市場に参加させろとも言わない。

 

おれはチビだが、もてないのはチビ差別だからもてるようにしろ、とは言わない。それは仕方ない。自由意思と自然競争だ。選ばれる対象でないことは仕方がない。こう生まれてきた自分が悪い。牛乳をたくさん飲まなかったのも悪いし、高身長になるような手術を受けなかったのも悪い。これは生まれてきたおれの責任であって、おれの知能の低さや非力さ、目の悪さ、精神疾患などと同じく、誰のせいにもしない。生まれてきたおれが悪い。そもそもそれがすべての失敗のもとである。生まれることでこの世に不幸が増える。

 

かといって、学校で背の低い子供にあえて屈辱感を与えてこの世の不幸を一つ増すことが、よいことなのか? 減らせる不幸が一つあれば、それはこの世にとってよいことであろう。

 

そういう指摘を「新たな差別探しをしているだけ」、あるかないかもかまわないような「合理性がある」(おれの場合は中学から名簿順だったと思うが、なにか問題があったろうか? ところで名前順は社会に出て差別されるか?)、「差別心があるから、これを差別だと思うのだ」、ああもう勝手に言え。でも、どうせならそんな仮面は剥ぎ取れ、チビのガキは恥をかかされても構わない、自分にとってはどうでもいい取るに足らない存在だと、チビは社会の劣等者だと素直に言ったらどうだ。

 

それに対しておれは中指を突き立てる。それだけだ。永遠にわかりあえないし、わかりあう必要もない。もっとも、おれの背が低すぎておまえらにはおれの中指が視界に入らないかもしれないが。