おれにとって熱い宗教は仏教なのだが、ここ10年とかで世界を熱くさせていたのは良くも悪くもイスラームだろう。おれはイスラームについてほとんど知らないので本書を手にした。ここのところのイスラームの流れについてザッと知ることができるんじゃあないかと思った。宗教理論としてでなく、政治的なそれについて。
イスラーム主義という用語は、政治と宗教の一致といった何らかの共通イメージを想起させながらも、観察者と当事者の政治的な立場や価値判断が交錯することで、長年曖昧なまま使われてきた。
そこで、本書では、イスラーム主義を「宗教としてのイスラームへの信仰を思想的基盤とし、公的領域におけるイスラーム的価値の実現を求める政治的なイデオロギー」と定義しておきたい。平たく言えば、イスラームに依拠した社会改革や国家建設を目指すイデオロギーということになる。
ふむふむ、イスラームは政教一致だとよく言われる。大川周明がイスラームにたどり着いたのもそのあたりだという。あるいは、原始仏教がインドの地で亡んだのは(すごく昔の話になるが)、そのあたりだともいう。
まああともかく、本書では「イスラーム主義」を扱う。イスラームという宗教を信仰することと、重なる部分はあれども、「主義」は政治的な理念があるということだ。
そして、イスラームにおける国家として歴史的に大きな意味を持つのがオスマン帝国ということになる。帝国崩壊以後のイスラーム主義、崩壊によって生まれたイスラム主義、これが重要なところだろう。たぶん。西欧列強に蹂躙され、分割されたサイクス=ピコ協定によって分裂されたイスラームの国。それがいまだに尾を引いている。
それでもって、西欧をバックにした独裁政権への反逆を企図したのが「第一世代」のイスラーム主義者ということになる。このジハード主義者たちが1960年代から70年代にかけてのエジプトあたりで起きたことである。
次いで「第二世代」が現れる。活動範囲は国内から国外へ、敵はムスリム社会の不信仰者から、非ムスリム社会の異教徒へ。それが顕著に見られたのが「無神論者」であるソ連の侵攻を受けたアフガニスタンである。ここにジハード主義者が集まった。その中にはウサーマ・ビン・ラーディンもいた。そうして、アル=カーイダも誕生する。敵はアラブの独裁国家ではなく、祖国から離れたアメリカということになったりする。
アル=カーイダに代表されるジハード主義者の「第二世代」の登場と2001年の9・11事件は、イスラーム主義の「安全保障化(securitization)」を加速させた。
「安全保障化」とは国際関係論におけるコペンハーゲン学派の概念で、「脅威」が、所与のものとして客観的に存在するのではなく、特定の行為主体による言語行為によって間主観的に構築されることを説明することである。ここでは、「イスラーム主義が世界を破壊しようとしている」といった言説が拡大・浸透することで、実際にイスラーム主義が「脅威」と見なされるようになり、また自らの安全を保障するための措置が講じられるようなる過程を指す。
虐殺器官ではないが、ともかくそういうことである。これにより、欧米ではジハード主義のみならず、イスラーム主義、さらにはイスラームそのものを危険とみなす風潮が生まれていった。一方で、イスラーム主義の側も、アメリカの「対テロ戦争」という名分によって、逆にビン・ラーディンの主張が裏打ちされることとなり、「安全保障化」の意趣返しになってしまったという。
そして最後に、というか、今現在? やや下火になったとはいえ、イスラーム世界を席巻したのが「イスラーム国」ということになる。これが「第三世代」だという。バグダーディーがカリフを自称し、「建国」を宣言する。「第一世代」の持っていたイスラーム国家の樹立を目指し、「第二世代」の持っていた「反近代西洋」をさらに加速された存在である。表層的なイメージをネットなどを通じて広げたそれは、「ぐれ」のにも呼応していった。「イスラームの過激化」ではなく「過激主義のイスラーム化」ともいえる。
そして、「アラブの春」。民主主義の中にあって、穏健にイスラーム的な国家を望む人たちの多さ。これもある。果たして民主主義とイスラームは共存できるのか、どうか。よう、わからん。いち早くイスラーム主義国家から抜けたトルコも、エルドアン大統領がどんどんイスラーム主義に舵を切っていったりもしている。と、エルドアン、今、大統領選やってるのね。
エルドアン政権に審判=トルコで大統領選・総選挙:時事ドットコム
まあ、このあたりもどうなるか、注目であろう。欧米の民主主義を「なんとなくいいもの」として敗戦後与えられ、それでいいじゃないかとやってきた日本人にはなかなかわからぬところもあるイスラームの社会。日本にとっては、歴史的経緯や地理的には他人事のようにも思えるし、そうかもしれないが、そうでないかもしれない。とりあえず、こんなところで。