くだんの事件の話をする。とはいえ、おれは被害者である、はてなid:hagex氏と個人的にやり取りをしたこともなければ、実際にお目にかかったこともない。もちろん、容疑者と目される「低能先生」とも、だ。だから、以下に書かれることは、ひとりのはてなユーザー、当事者たちから少し離れたはてなユーザーの所感に過ぎない。
hagex氏は、いつ頃からかはてなで見かけるようになった。おれの方が古いユーザー、あるいは村民であるような気がしていた。ただ、それは観測範囲の問題、単なるおれの勘違いであって、彼の方が古参であることも充分にありうるだろう。
それはどうでもよい。彼が主にしていたことはネットウォッチだったと思う。だれとは言わぬが、ネット上の有名人の炎上などに駆けつけ、それをまとめている人、という印象だった。それ自体、品のいいことだろうか。そうではないだろう。しかし、そういうジャンルの割には、彼なりのラインがあって、決してゲスすぎるところまでいかない、そういうバランス感覚があるように見えた。おれはあまり炎上ごとなどに関わらないように生きているが、一切言及することなく、一応眺めて、流れをつかんでおくくらいのことはする。そういう意味では、おれのほうがゲスなのかもしれない。
一方で、容疑者と目される「低能先生」。その存在を知ったのは最近のことだった。まず、以下の記事で知った。
おれは幸いにも(?)、「低能先生」から「低能」だの「ゴミクズ」だのというIDコールを受け取ったことがなかった。増田(はてな匿名ダイアリー)を見ていて、定型のえらく口汚い書き込みがあるなとは思っていたが、それが「低脳先生」だったのかどうかはいまだによくわからない。
そして、さらに「低能先生」のことを知ったのは、ほかならぬHagex-day.infoの記事であった。
低能先生からコールが来る度に、私ははてなに通報を行っている。
当初は「私も含めて、他のユーザーに罵詈雑言を行っている人間です」と丁寧に理由を書いていた。が、最近では「低能先生です」と一言だけ書いて送っており、その後低能アカウントは凍結される。
「そういう人物がはてなにいるのか」と思った。そのていどのことである。
そのていどのことである、が、おれは「低能先生」を認識してしまった。先に書いたように、Hagex氏のことも知っている。向こうはこちらのことを全く知らないではあろうが、こちらは知ってしまった。その距離感も微妙で、たとえば「船越英一郎が松居一代を刑事告発した」というような「知っている」とも違う。もう少し近い距離で。それこそ、村の中で、というのが正しいのか。
そして、知っている人が知っている人を殺した、ということになってしまったわけだ。それとなく知ったのはワールドカップの日本代表戦中、Twitterのタイムラインにポツポツと情報が入ってきたから。ただ、そのときはまだ未確定要素が多かったように思う。
そして、今日、今日である。実際に被害者と面識のある人の書き込み、そしてマスメディアの報道により、ほぼ事件は確定してしまった。無論、自供があったようだとはいえ、容疑者は容疑者だ。だが、犯行宣言とも言える増田への書き込みも事態を裏付けているように思える(本文は今は消えてしまっている)。
おれは「知っている人間」が「知っている人間」を殺したということに、生まれて始めて直面した。「直面」したとは言い過ぎかもしれないが、おれの中では、そうなのである。
はてなの風景が違って見えた
して、今日のおれはいささか暇であった。仕事中にネットを徘徊していた。いつものように……。いつものようにはてなブックマークから話題を見つけ……。だが、なんというのか、風景が違う。そういう違和感におそわれた。もちろん、事件の記事やそれについたブックマークコメント、あるいは事件に関する考察、故人の人となり、そういったものばかり読んでいたせいもあるだろう。
ただ、なにか変だった。いつもの……そう、言うなれば、村の風景が変わって見えた。物理的な事件現場は福岡だったのだろうが、おれにはオンラインの「ここ」で起きてしまったのだと、そんなふうにさえ思えた。大げさと言われればそうなのかもしれないが、いや、しかし、変なもやもやを抱えてしまい、それで、それをこうやって吐き出さなければというくらいに……堪えることのできないなにかがあった。
モニタの向こうには人間しかいない
おれがネットを使う上で常に意識してきた言葉がある。「モニタの向こうにいるのは犬かもしれない」。インターネット黎明期、あるいはパソコン通信のころか、ともかく父が読んで回してきたネットについての翻訳書だった。仔細はもはや覚えていない。「犬だと思え」だったかもしれない。そして、その意味も、いつしかわからなくなっていた。ただ単に、回線経由の文字列から、そいつが自称するそいつであるとは確認できないぞ、という意味だったかもしれない。「ネタにマジレスするなよ」ということだったのかもしれない。いずれにせよ、おれは「モニタの向こうにいるのは犬かもしれない」というスタンスでインターネットを見ていた。そして、何事かを発信し、だれかに認識されたりもしてきた。
が、当たり前の話だが、モニタの向こうにいるのは人間なのだ。犬ではない。
botを人と勘違いしたという笑い話もあるし、AIが紛れ込んでいてもおかしくない時代とはいえ、おおよそほとんどは人間だ。
人間というのはだいたい腹が減ったら飯を食ったり、眠くなったら眠るような、取るに足らないことをして一生を終える存在だが、ごくまれに人間を殺したりもする。その、「ごくまれに」が、ネットにおける自分の「身近」で起きてしまった。そしておれは少し動揺している。二、三日もすれば、またはてなブックマークも、増田も、いつもどおりに感じられるのかもしれない。しかし、ひょっとしたら、もう同じような目で見られなくなってしまうかもしれない。
インターネットというもの、おれが知っているものとはもう完全に違うものになってしまったのかもしれない。おれもおれの振る舞いを一から見直す必要があるかもしれない。
あるいは、株式会社はてなだって、同じ荒らしが何度凍結されようと、新しいアカウントを取得できるような仕組みを見直す必要があるかもしれない。その方法は100を0にするものではないかもしれないが、10にできるかもしれないし、50にだってできるかもしれない。80でも上出来だ。そう、なんらかの新しい認証制度……それは、より実社会の自分と紐付けされたものになるだろう。それでも、もはやそういう時代なのだろう。
殺すほどのことでもなければ、死ななければならないほどのことでもなかったはずなのに
そして、それでもなお、今回の事件についておれはこう思う。殺すほどのことでもなければ、死ななければならないほどのことでもなかったはずなのに。甘いと言われればそうだろう。ただ、やっぱりちょっと、あまりにも材料が揃いすぎてしまった。被害者が、たまたま容疑者のことを自分のブログに取り上げてしまった。そのあとすぐに、被害者が、たまたま容疑者の行動範囲内で講演会を企画してしまった。場所と時間、悪いタイミング。もっとも、容疑者が用いた凶器の刃体はかなり長く、はてなの東京本社(本社じゃないけど)へ行こうなどと書いていたことから、ある程度の準備はあったのだろう。が、やはり悪い方に悪い方に事態が集まっていってしまった感は否めない。ラスコーリニコフの斧。
おれの実社会での立場はどちらかといえば42歳無職、いわゆる「無敵の人」に下流だが、いくら怒りや恨みを溜め込んでも、やはり殺すことはなかったんじゃないのかと思う。
そして、いくらなんでも、あのブログ記事一本で人が死ぬということもないんじゃないのかという思いは拭えない。べつのトリガーがあったのかもしれないが、とばっちり、八つ当たり、偶発的、通り魔的ですらある。
(↑この部分についてはページ下部に【追記】あります)
ただ、やったのは人間だ。人間ゆえに、わけのわからない機序で、わけのわからないことをする。あの秋葉原の加藤某にせよ、携帯ネット掲示板で居場所をなくしたから無差別殺人に及んだという。この度の容疑者も、ともすれば「低能先生」呼ばわりよりも、ネット上での自分の居場所を失わせようとすることへの恨みだったかもしれない。もちろん、かれの望む居場所と振る舞い(他人にひたすら「低能」を投げつける)は、多くの人に不快感や恐怖を与えるものだったにせよ。
それにしたって、殺すほどのことでもない、殺されるほどのことでもない。と、第三者が、遠くの第三者が言ったところで、ことは起こってしまった。無力だ。そして、類似の事件を今後完全に起こさせないこともできない。ただ、なんらかの方策により100を90にできればマシだし、そちらに向かうのは悪いことじゃない。そう願うのみなのだ。
……いままでに
馬は馬を殺したことはなかったし
鮫は鮫を殺さなかったどうして人は
人を殺すのだ?どうして人は
人を愛すのか?
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【翌日追記】
anond.hatelabo.jpこれはあくまで「思われるもの」だし、おれ自身は増田をブックマークすることはあれども、中でのやり取りはしたことがない。だから、はたして「低能先生」の書き込みかどうか断言しかねる。
が、仮にそうだとしたら、少なくとも去年から(いや、違うのかな。ちょっと上の書き込みの引用部分の見方がわからない)被害者を理由つきで名指ししているし、増悪はわりと長く、強いものであったようで、突発的、通り魔的と言えるものではないのかもしれない。加害者と被害者の関係は、今年の5/2に始まったものではないのかもしれない。大筋で感じたことは変わらないけど、やはりどこか印象が変わった(計画的犯行感が強まったというか……)こともあって、書き留めておく。