鬱状態をまぎらわすには、絶えず動きまわることだ。立ちどまったとたん、鬱が目をさます。そやつが、仮にまどろむことがあるとしての話だが。
シオラン「忌わしき明察」
おれは双極性障害(躁うつ病)である。少なくとも、専門医からそう診断されている。まずそれを前提としたい。そしておれの双極性障害はII型である。医師から言われたわけではないが、極端な躁状態のエピソードがなく、おおよそうつうつと生きているだけだからである。
おおよそうつうつと暮らしている分には、おおよそうつうつと暮らしているだけであって、希死念慮をポケットに入れて、自分とこの世界に呪詛を吐きながら、世界の片隅で這い回っているだけのことである。
が、たまに明確な抑うつ状態が降りてくる。いや、降りてくるのか湧き上がってくるのかわからないが、ともかく降りてくる。今が、そうである。今のそれは、今までに感じたことのないくらい強いものだ。おれが最初の最初に精神科に行こうと思ったときと同じか、それ以上だ。
では、おれの抑うつ状態とはどのようなものか。暗い想念に支配されるのか、自殺を企図するのか。おれの場合は違う。そういう心の問題以前の問題といえる。身体が、動かない。これに尽きる。脳の命令を身体が受け付けない。「心の病」というより、完全に「身体の病」。そういうイメージ。
朝起きて、身体に力が入らない。動けない。倦怠感以上のなにか。これに襲われる。あまりにひどいので、「ひょっとしたら双極性障害による抑うつなどではなく、純粋に身体の病気なのではないか?」と思ってしまうくらいのものである。
が、検索してみれば、典型的なうつの現れ方なのである。たとえば、「朝 体が動かない」などで検索して出てくるこんなページ。
自分なら「ウツ」は必ず自覚できる、という誤解 ――「うつ」にまつわる誤解 その(2)|男の健康|ダイヤモンド・オンライン
ある朝のことです。
重たい身体を引きずってどうにか玄関に立ったAさん。玄関で靴を履こうとしたところで、ついに、まったく動けなくなってしまったのです。
おれの場合、ベッドの中でこれが起きる。会社に連絡を入れなくてはと思うが、すぐ近くにある携帯端末がはるか遠くに感じられ、手を動かせという命令もまるで届かない。この記事の続きによると、これを「身体化症状」というらしい。
現代人にありがちな、「頭」が強権的に自分全体を支配している状態では、「頭」によって「心」との間の蓋(ふた)が、強力に閉められてしまっています。すると、「心」が出すさまざまなSOS(警告)は「頭」に聞き届けられない。つまり、SOSは意識されないまま、自動的に却下されてしまうことになります。
そのようにSOSを出しても「頭」に聞き入れられないとすれば、「心」は次の手段に打って出ます。
「心」は一心同体の同盟者である「身体」に協力を要請し、何らかの身体症状を出現させることで、「頭」(意識)に危機的状況にあることを知らせようとするのです(これを専門的には「身体化症状」と言います)。
果たして人間の身体の機序がこのように説明できるものかどうかはわからぬ。わからぬが、わからぬでもない。わからぬでもないが、「頭」のほかに「心」という事物、現象が存在するのかどうかいまいちわからぬ。
まあ、それはともかくとして、いきなり「身体が動かない」という方法で降ってくるのだ。とはいえ、動かなかった身体が、昼くらいになるとようやく起き上がれるようになり、よちよち歩きで移動することができ、おそろしくスローモーションでシャワーを浴びたりして、寿町のジジイよりも遅くよちよちと自転車を漕いで(さすがに自転車通行可の歩道を通る)、会社の階段を一段、また一段と息を切らせて上り、仕事などしたりするのである。とはいえ、コンビニに歩くのもパーキンソン病だった祖父のような不自然さだし、いきなりへたりこんだりする。
そうだ、立ち上がる、移動する、ドアを開ける、すべてに意識を集中しないと、その場にへたりこみ、寝っ転がってしまうのだ。いちばん危ないのはシャワーを浴びているときで、両足に意識を集中させないと、すっ転んでしまうのだ。そしておれは思うのだ、「普段のおれはオートバランサーが作動していて、立ったり、歩いたりという難事をなにかに任せてしまっているのだな」と。
まあいい、そんなこんなで、夕方くらいになると、そこそこ普通になる。キーボードを叩くのも、マウスを動かすのもなんとかなる。人と会話することもできる。そして帰りには……かなりの倦怠感があり、やはり自転車はノロノロだけれど、朝よりは動ける。帰ったら帰ったで、もう椅子に座っているのもしんどい(足首から膝、腰から頭、地面に対して垂直じゃなきゃいけないじゃないですか)のだが、昼にろくにものを食えなかったぶん、目の前にあるものを食べることくらいはできる。そして、パソコンを立ち上げて、新しいiPhoneのことを考えたり、自分の今置かれている状態についてメモをしたりする。いや、いま、この瞬間。今のおれは、小学六年生の男子と殴り合いの喧嘩をしても、五分五分の戦いができるんじゃないかと思う。普段の勝率を知る由もないが。
と、こんなことを書いていると、「朝しんどいのはみな同じだ、単なるサボり癖じゃないのか?」などと言われそうだ。だったら、脳から下が切断されたようなおれの症状を味わってみろとでも返したいところだが、たしかに朝動けなくて、だんだん動けるようになり、夜になると「うつが去ったかな?」と思えるのに、翌朝リセットされるのはなぜか? という気にもなる。
が、これはどうやら「日内変動」というものらしい。
うつ病の症状と具体例 | うつ病の病院搬送 - メンタルヘルスONLINE
日内変動
午前中に具合が悪く、夕方になるとよくなるというように、一日のうちでも症状に変化があることがあります。
いつもよりはるかに早く目が覚めて、ゆううつで悲観的なことばかり考えながら苦しい朝を迎え、それが午前中いっぱい続き、午後から夕方にかけてよくなっていくという経過をとるのです。
このような変動は、うつ病の人全員に起こる訳ではありません。
一日中具合が悪いという人もいます。
日内変動を軽くみない
うつ病の症状は「日内変動」といって、1日を通して特徴的な現れ方をします。一般に、症状は朝に悪化し、午後から夕刻にかけて改善する日内変動がよくみられます。人によっては、夕方から夜にかけて普通の人と変わらないように元気になるため、「ずっと落ち込んでいるのではないから、病気ではなく気分の問題なのだ」と考える人もいます。また、周りの人から見れば「怠けている」「仮病だ」と思われることもあります。しかし、これはうつ病の日内変動による症状の現れ方なので、決して気分の問題や怠けて故意に症状を振る舞っているというのではありません。患者本人も、日内変動については軽く考えないように注意しなくてはなりません。
……いずれも単極性のうつ病、大うつ病性障害についての記述なので、双極性障害であるおれのうつ状態について当てはまるかどうかはわからない。わからないが、あてはまっているのは確かだ。
で、おれはどうすればいいの? ということだ。「早く寝てしまえばいいではないか」というのも一つの考えかただろう。というか、あまりの疲労感、倦怠感で10時ころには睡眠薬を飲んで横になったりもしたのである。が、眠れないのだ、これが。いつもよりも眠れない。睡眠薬をおかわりしても眠れない。……そりゃあ午前中寝込んでいて、昼過ぎからは会社で頭をはっきりさせようとカフェインをガブガブ摂取していたのだから、なかなか早く寝るのも無理なことかもしれない。
というわけで、今度はちょっとだけ調子が戻っている(座椅子に座っていても疲れない)のをいいことに、こうして日記など書いて、適度に眠くなるのを待っているわけなんだけれども。
いや、しかしなんだろうね、おれの場合は双極性障害だけれども、うつが心の病気というのは正しい表現なんだろうか。あくまでおれの体感するおれの場合だと、心以前の問題というか、率直に身体が動かない、身体の病気としか思えない。もちろん、そんな状態で楽しいことを考えたり、バリバリ仕事をしたり、趣味に打ち込んだりできるわけもないが、かといって普段より悲しいことばかり考えるとか、死ぬことばかり考えるとか、そんなこともない。というか、普段から不安でたまらず、悲しいことや死ぬことばかり考えているおれのような人間からすると、「転ばないように足に意識を集中させる」などということによって、「今、漠然とした不安どころじゃないんだよ」という気にすらなってしまう。まあ、上の方で引いた話によれば、そういう心の声を無視しつづけた結果、身体と一緒になっておれの頭=思考に警告を与えている、という図式になるのだろうが。
とはいえ、おれは明日の朝、起きて、会社に行かなければならない。おれがいなくては仕事が回らない、などと意識の高いこと言うつもりはない。ただ、底辺の零細企業、人が出払ってしまって、本当に無人になる、という事態がありうるのである。ちゃんとした企業でよいお賃金をもらっているあなたには想像もつかないだろうが。そのために、おれはコンビニでチオビタドリンクを一本買った(買うまでにどれだけぼんやりと商品を眺め、戸惑っていたことだろう!)。それを枕元に置いてある。目が覚めて、身体が言うことをきかないようであっても、なんとかそれを飲んで、それを暗示として、おれは身体を動かす。あるいは、ナイフでも置いておいてとりあえず太ももを刺す、などというのも有効かもしれない。
さて、睡眠薬を飲んで寝るとする。寝られたらの話だが。