「超越と実存」と言われると、なにやら近現代西洋哲学(よくわからない)のような雰囲気があるが、実のところ「無常をめぐる仏教史」の本なので安心してほしい。いや、おれが安心しただけなのだけれど。
とはいえ、もちろん、「超越と実存」は本書の大きなテーマである。これをもとに著者が仏教史を突き刺している。
「超越」的存在は、時には「本質」や「実体」などと呼ばれ、その存在を前提とすれば、無常の実存は「現象」とか「属性」などと規定される。
すなわち、私が思想には仏教と仏教以外しかないという言う意味は、「実存」と「超越」との関係で考えるのか(仏教以外)、「超越」抜きで考えるのか(仏教)どちらかだ、ということである。
その上で、さらに著者はこう言う。
私は、仏教思想の核心にある問題は言語、より正確に言うなら、言語において意味するもの(言葉)と意味されるもの(経験)の間にあると考えている。事実上、本稿で議論の軸をなすのは、表立って言及するかどうかは別として、言語なのである。
不立文字とは禅の物言いであるし、拈華微笑なども「言語」や「言葉」を否定するようなものかもしれないが、著者はあえて「言語」を核心という。著者は永平寺で二十年只管打坐した僧である。そうであるにもかかわらず、そういうのだから、そりゃ深みもあろう。
して、この本において語られるのは、ゴーダマ・ブッダの教えである「実存」の考え方に「超越」的理論がインド、そして中国で加わっていった過程である。その過程の末に、日本仏教、親鸞、道元においてどう発展したのかという話である。
このあたりの仏教史というと、先ごろ読んだこの本を思い出す。
南直哉が佐々木閑を、あるいはその逆をそれぞれどう考えているかしらんが、いくらか重なっているところはあるように思える。まあ、仏教史をたどっているのだから、そういう話にはなるのだろうけれど。
して、最後にたどり着く日本とはどういう場所であったのか。
……後に「日本」と称されるようになった共同体では、地縁血縁を原理とする組織構成や秩序構築の持続が可能であったゆえに(アニミズムが近代国家を形成するという世界史上特異なケース)、「そのまま」「ありのまま」の「現実肯定」的アイデアが、『古事記』後の思想的言説の根底に、常に強力に作用し続けることになる。
ギリシアの神話も、異民族、異教の侵入によって哲学へとなった。一方で、日本はそれを経ずに「ありのままに」のアニミズムが維持されたという。
「ありのままに」。これが空海によって理論化された密教思想であり、あるいは本覚思想に通じ、またあるいは明恵上人の「阿留辺幾夜宇和」に通じるところなのである。
その「ありのままに」を否定したのが法然だという。法然は戦乱の世に対して「ありのまま」では通用しないと考えた。そして、以下のような思想を持って現れたという。
一つは「日本」に対する革命。
『古事記』的アニミズムを底流としつつ、まさに「ありのまま」主義的形而上学たる『天台本覚思想」が形成過程にあった思想状況において、彼はいきなりキリスト教のごとき「一神教」のパラダイムを導入したのである。これほど妥協なき超越性を主張する思想は、彼以前の日本には一つもなかった。
もう一つは「浄土教」に対する革命。
仏教思想の骨格は、凡夫が修行して悟り、成仏して涅槃に入るというものであり、これが公式である。
従来の浄土教思想は、いずれもこの公式を認め、特に煩悩多く修行能力の低い衆生を、如来が慈悲によって成仏に導く補助手段として、浄土の教えと念仏実践を考えていた。つまり、あくまでも副次的教えだったのである。
ところが、法然はこれが仏教における最高絶対のアイデアであり、如来の真意なのだと主張したのである。これは当時、法然以外の全仏教者にとって受け入れ難い思想だっただろう。
ここに、「あるべきやうわ」の明恵との思想的対決が現れる。あー、そういうことだったのね。
ふーん、そうか、そういうことだったのか! と、なる。サクサクっとその思想の対決を書き表してくれる。それでなぜ「法然対明恵」だったのかわかったような気にさせてくれる。すばらしい。
同じく、すばらしいと思ったのは、ナーガールジュナ(龍樹)の読み方である。おれはこの箇所がさっぱりわからないながらも、なにか気になっていた。
まず、すでに去ったものは、去らない。また未だ去らないものも去らない。さらに〈すでに去ったもの〉と〈未だ去らないもの〉とを離れた〈現在去りつつあるもの〉も去らない。
これをこう読み替える。
この理屈は、「彼は歩いている」という、普通は誰も疑わない対象認識を、真っ向から否定する。すなわち、彼はいま歩いている以上、すでに「歩いている彼」である。その彼がさらに「歩く」ことはありえない。だから、歩く彼は歩かない。そして、歩かない彼は当然歩かない。歩く彼でもなく、歩かない彼でもないなら、いったい誰が、歩くのか。
肝心なところは、最後の一文なのだろうし、それが「行為から切り離された主体それ自体の存在の否定」になり、「無記」へ通じるというが、いやはや、それ以前に、そういうことだったのですか、というところだ。
で、話はバラバラに飛ぶが、本書で最後に触れられているのが親鸞と道元だ。最後の親鸞だ。そして、著者が賭けているところの道元だ。
……「ありのまま」主義の思想風土は、本来形而上学を必要としなかった。ならば、超越的理念や実体論的思想と正面から対決した上でそれを解体し、無常・無我・無記・縁起の思想を確保する言説が、「日本」に現れる可能性も必然性もあるはずである。
その言説こそ、親鸞と道元の思想と実践であり、いわば「日本」における形而「上」学ならぬ形而「外」学であり、ゴータマ・ブッダの根本思想をそれぞれの方法で捉え直したのだと、私は考えている。
形而外学、ときたもんだ。
親鸞について。
親鸞において、「信じる」行為それ自体が主題化してくる必然性はここにある。そして、主題化してしまった以上は、もはやそれは単純に「信じる」行為を不可能にするだろう。「信じるとは何か」を問う人間が、同時に「信じる」ことは不可能である。
親鸞と浄土教との間の深淵は、この「信じる」行為への問い、すなわち、その時点で「信じる」ことができなくなっている事態にある。けだし、彼の言う「悪人」とは、この「信じることができない」実存の根源的危機のこのことなのだ。
著者は法然と親鸞の「非連続」を説く。鈴木大拙が「思想的に同一と見てよい」とか言っていたのとは大いに違う。この「信の構造」は……たいへんに興味深い。いや、興味深いと思っていたのだけれど、まったくわかっていなかったな。
<信>の構造―吉本隆明・全仏教論集成1944.5~1983.9 (1983年)
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……通常の善を行うという意味の念仏は必要ないのだ。ということは、残るのは「ナ・ム・ア・ミ・ダ・ブ・ツ」の発生行為のみである。
事ここに至って言えることは、親鸞のアイデアは、かろうじて「仏教」の範疇に留まっていた法然の浄土思想を突破し、それが内包する超越的理念(阿弥陀如来と極楽)を、悉く「念仏」という行為に落とし込み、消去してしまったのである。
親鸞に結実した思想は、人間という「無常」の実存を、超越的理念によって根拠付ける形而上学ではない。むしろ、「無意味」な念仏、すなわちそれ自体「無常」な称名行為において自覚的に許容するという、形而「外」学である。そのような彼の登場は、もともと形而上学を持たなかった「日本」の思想風土においてこそ可能だった、と私は考える。
一方で、釈尊の根本理念への直接回帰を意識したのが道元という。
……するとここまでの言い分からして、「仏」とは「仏のように行為する」実存の呼称である、ということになる。このとき、「悟り」も「涅槃」も現実的には何であるか認識不能だから、「成仏」は「自己」にはできない。「自己」に可能なのは、「仏になろうと修行し続ける」主体として実存することである。すなわち、「仏」は「仏になろうとする」主体の実存様式である以外に、現実化しないのだ。
したがって、修行僧が「成仏」したり「悟る」ことはない。なぜなら、ある時点で「成仏した」「悟った」と「わかった」瞬間、それが認識である以上は概念化するわけで、結局は超越理論として扱われるからである。それは「観無常」の立場が決して許容しない事態である。
いやあ、そういうことだったのか。
……と、本書を通して、本書の著者の目を通して仏教史を通貫すると、なるほどと思えることが多くて、これには参った。目からウロコの連続である。おれはわけもわからずに、いろいろな教えや解釈のかけらを齧っていただけにすぎないな、と思った。とはいえ、おれが本書で「そうだったのか」と思えるのは、いくらはかけらを齧っていたおかげでもあるはずで、「まずはこの本から読みなさい」とも言えないのである。あらゆることにおいてそうなのかどうかはわからないが、行きつ戻りつ、それによって多少なりとも自分の血肉としての言葉ができあがっていくのであれば、それでよい、ということにしておく。
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