おれは、金曜の夜に安ワインを一本開ける。
土曜日、起きるのは決まって午後二時すぎ。
おれは顔だけ洗って競馬をする、小銭が行き来する。
午後四時半、最終レースが終わると、おれはシャワーを浴びて、
コンビニに行く。
日曜日の出馬表を求めて、コンビニに行く。
外に出てみると、夕焼けの空。
おれの、半地下のような部屋には、
外の日差しが入ってこない。
おれはいつものように、外は曇っていて暗いのだと、
(たとえ晴天の日であっても、おれは外の天気がわからない)
思った。
空は夕焼けだった。
なにかいいことがあったわけでもなく、
なにかわるいことがあったわけでもない日には、
どうでもいいことが話題になる。
言葉に意味があるのだろうか。
おれは意味を待っていた。
ただ意味を待っていた。
しかし、意味などないのかもしれない。
「言葉を意味で割ることはできない」、
と、偉大なる詩人が言っていたように思う。
おれはコンビニでサンドウィッチと東スポを買う。
おれは目覚めてからなにも食べていない。
部屋に帰って部屋着になる。
サンドウィッチの包装を開く。
缶チューハイを開ける。
東スポの競馬欄を開く。
ある競馬評論家が言うには、
馬券を買うことができるだけで勝ちだ、と。
その言にのれば、おれは勝ちつづけてきたはずだ。
少なくとも、前日から出馬表を読んでいるやつの方が、
当日の朝から読み始めるやつより、
勝ち続けることができるような気がする。
気がするだけだ。
大金持ちでも、貧乏人でも、
ただ、馬券を買いつづけることができたなら、
それは勝ちだという、
価値観をおれは愛する。
そして、東スポのある世界と
東スポのない世界を
選べるというのなら、
おれは東スポのある世界を選ぶだろう。
そして、
なんでもない夕焼けのある世界を、
選ぶことだろう。