みんなお金を使う理由を探していたんだ

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ここから書くことは試論……なんてたいそうなものじゃない。おれがふと思いつき、思いついたままとくに肯定する話も、かといって否定する話も出てこなかったことだ。その思いつきはいまだにもやもやと自分の胸の内にあって、どうにも気になってならないので、一度文章にして吐き出しておこうと思ったにすぎない。だから、なんの根拠もない。おまえの役には立たない。おれに役に立つかどうかもしらない。とりあえず、思っていることを書き連ねる。それだけのことだ。

というわけで、表題の通りである。

「みんなお金を使う理由を探していたんだ」

ここでいう「理由」はなにか。言うまでもないか、トイレットペーパーの買い占めだ。買い占めというと言いすぎかもしれない。なんと表現すればいいかわからないが、ともかくトイレットペーパーを買わなければいけないという意識だ。ティッシュペーパーも含まれるかもしれない。

マスクはとうの昔に買うことができなくなっている。困難というより、不可能だ。では、トイレットペーパーはどうか。これは、ひょっとしたら開店前からドラッグ・ストアの前に並んでいれば手に入れることができるようになったかもしれない。あるいはイオンだとかイトーヨカドーとかの大店舗であれば手に入るかもしれない。しかし、おれが会社の帰りに寄ることのできる、小規模なドラッグ・ストアのチェーン店では品切れだ。

これはなんだろうか。もちろん、トイレットペーパーを切らしてしまっては大変なことになる。出どころがデマだとしても、現実にトイレットペーパーを切らしてしまうということはリアルだ。そのことは前にも書いた。そのときは「取り付け均衡」という言葉を知ったが、後に知った「予言の自己成就」というほうがしっくりくる。まあともかく、悪い意味で嘘から出た真ということだ。

そしておれは思うだ。

「みんなお金を使う理由を探していたんだ」と。

お金を使わない理由はなにか。言うまでもない、新型コロナウイルスとそれに伴う経済的打撃、先行きの見えない不安、そんなものだ。そんなとき、人々が盛大に金を使おうと思うだろうか。わずかに存在する大金持ちはそう考えるかもしれないが、大多数の中流下流の人間の財布の紐は固くなる。

が、しかし、人間、それはきびしい。人間、というと主語が大きいかもしれない。資本主義の元で、私有財産のマネーを原則的に自由に日用品と交換できる人間、だ。まあともかく、おれやあんた、それが、緊縮ばかりではいられないということだ。どっかで金を使わなきゃやってられんよな、そんな意識はありはしないだろうか。だからこそ、無観客競馬にも関わらず、川崎のエンプレス杯は売得金のレコードを更新したのではないか。

いや、そんな博打の話は特殊な例だ。もっと身近な例があるわけだ。それがトイレットペーパーへの行列だと言いたいのだ。トイレットペーパーがなくなると具体的に困る。トイレットペーパーがなくなると単純に悲惨である。トイレットペーパーはあまり腐ったりしないので買い置きしておいても問題ない。部屋のほとんどを占領するほどトイレットペーパーを買うのはでなく、一部を占めるくらい買うのは合理的だ。問題ない、トイレットペーパーを買うのは悪くない。そこに金を使うのは馬鹿な話じゃない。金を使いたいのだが、その対象としてトイレットペーパーは適しているんじゃないのか。

そんなわけで、みなトイレットペーパーに群がったのではないか。金を使う理由を探して、比較的安価で(ネットで高額な転売品に手を出さなければ)、すぐに腐りもしない商品。買い物ができる。それは喜びだ。それは資本主義の社会に生きるわれわれの喜びだ。愉悦だ、快楽だ、自由になることだ。

だからみんなトイレットペーパーを買い求める。もはや元のデマなんてどうでもいい。金を使いたいのだ。そして、ドラッグ・ストアからトイレットペーパーはなくなり、いずれおれの部屋の片隅を占めるトイレットペーパーもなくなり、おれは悲観して橋から身を投げることになるのだ。おれはトイレットペーパー不足で死ぬのか、なんて思いながら、ね。

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 人間、追い詰められたらこういうので尻を拭こうというところに行き着くのだろうか?