新コロナウイルス対策失業団戦記

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その晩の夕食のメニューは、いつもどおりのすいとんともやしの和え物だった。すいとんといっても、味のない、ぬるい塩スープに白いかたまりが浮かんでいるだけだ。

食事の号令を待っていると、そこへ監視官が入ってきた。汚れてベージュ色になったマスクの紐を右側だけ外し、副首相スタイルでがなり始めた。

「今夜は、明日の迎撃戦をひかえた大切な夜である。ここ横浜は首都防衛の最後の盾だ! そこで、農林水産上級副大臣閣下より、ありがたいお気持ちを頂戴した! これを糧に、明日の戦闘に打ち勝てる!」

すると、薄汚れた白衣の給仕班が入ってきて、ソーシャル・ディスタンスを守っているぼくたちのプレートに、肉のかけらとメロンを置いていった。

「食事、開始!」

ぼくたちはそれぞれの、ぼろぼろのマスクを外して、食事を始めた。原則、会話は禁止されていたが、一人の男がつぶやいた。

「おれ、ステーキ・チェーンで働いていたからわかるんだ。こいつは和牛だぜ」

和牛は冷えて固くなっていた。ぼくにはそれが和牛かどうかわからなかった。そもそも和牛を食べたことがあったのかどうかも思い出せない。ただ、メロンはとても甘く、いつまでも口の中にその香りを残すようだった。

 

ぼくたちは食事をおえると、半恒久的ドーム通路を、ソーシャル・ディスタンスを保ちながら隊列をなして、半月宿舎に戻った。ここはかつてわりといいホテルだったらしいが、今やそのなかは廃墟に近い。ぼくは部屋に戻ると、テレビをつけた。テレビは今や一つのチャンネルしかない。そこに映されていたのはナイター競馬だった。もちろん無観客。そして、ぼくたちにはネット通信どころか、お金というものすらなかった。だから馬券を買うこともない。ただ馬が走るだけだ。

かつては、五重勝単式の的中者には不織布の新品マスクが与えられるといったイベントもあったが、そんな話も遠くなった。今でも、給食券を賭けて後先をやるものもいたが、ほとんどのひとは飽きていた。

あるとき、食堂施設のテレビで流れていた中継を見て、「おい、これは三年前の桜花賞だ! 実況を変えてるだけだ、こいつは阪神牝馬ステークスじゃない!」と叫んだ男がいたが、憲兵に連れ去られてしまった。

ぼくはテレビのスイッチを切って、ぼろ布団に潜り込んで、早々に眠り込んだ。

 

朝が来た。だだっ広い半恒久的ドーム内の集会場に集められた。防衛指揮官が右耳のゴムひもを外して一喝した。

「傾聴!」

ぼくたちは、休めの姿勢から直立不動の型に移った。

防衛指揮官は先が折れた警棒で、ぼこぼこになったホワイトボードを叩きながら叫んだ。

「この一戦に、この国の将来がかかっている。われら国民一人ひとりが、それぞれのなすべきことをなし、コロナ禍と、それを押し広げる非国民暴徒を駆逐しなくてはならない! 防疫! 三密!」

そしてぼくたちは声を張り上げるのだ。

「Don't blame! Do what we can!」

 

ぼくは、自分の自転車にまたがった。両脇に二本の竹槍が装備されている。高速度で敵に突撃し、これにより刺殺する。しかし、ぼくに与えられたママチャリは、クランクからガラガラとおかしな音を立てていた。

久々に外に出た。ぼくらは互いにそれぞれのの身体を見た。肌が白くなりやせ細っているのに、すこし戸惑ったのだ。けれど、だれも、なにも言わなかった。「新コロナウイルス対策失業団横浜銀輪竹騎兵隊」と書かれたのぼり旗を立てた戦闘隊長に従って、ぼくらは戦場となる西の橋へと向かった。ギリギリ、ガラガラ、キイキイ、自転車が変な音を奏でていた。

敵……ユニヴァーサル・コロナ教団の暴徒たちは、二つに別れた山手トンネルから北上してくる。狭いトンネルを通り抜けて密集しているところを、一撃離脱と反転攻撃の連続により撃破するというのが作戦だった。

ぼくらはソーシャル・ディスタンスを取りながら隊列を作った。だれも言葉を発しなかった。やがて、静寂の街に、祭ばやしが聞こえてきた。教団の連中だ。トンネルの中から太鼓の音、歌う声、爆竹の爆ぜる音が響いてきた。

戦闘指揮官が叫んだ。

「戦闘歌、斉唱!」

ぼくたちは、頼りない声で歌い始めた。なかには、やけになって大声でがなりたてるやつもいた。

「されば港の数多かれど、この横浜にまさるあらめや!」

 

と、そのとき、突然の破裂音が響いた。元町商店街の廃墟ビルに隠れていた敵の狙撃兵が発砲してきたのだ。銀輪部隊の数人が派手に血を撒き散らしながら倒れた。ぼくたちはあっけに取られて、すっかり固まってしまった。

すると、法螺貝の響きとともに、隠れていた敵兵たちが元町方面と石川町方面から襲いかかってきた。伏兵!

戦闘指揮官が「次亜塩素酸散布! 各自、突撃!」の号令をかける。ガムテープで補修したN95マスクをした軍医戦闘員が装置を作動させる。

が、すでに遅かった。自転車を漕ぎ始めてフラフラしているところに、集団で敵が襲いかかってくる。自転車に固定された竹槍は、密着戦闘に使えない。斧や鈍器で次々に銀輪部隊がやられていく。ぼくはしゃにむに自転車を漕ぎ始めた。敵の本体はトンネルをすでに抜け出ていた。エリザベス神輿を中心に、吶喊を上げなら襲いかかってくる。爆竹が響く。なかには名産の小豆をまく女たちもいた。そして、容赦ない鉄砲の水平射撃。敵はどこか外国の支援を受けて、銃砲を装備しているという噂はあったが、事情はなんであれ鉄砲は目の前の事実であった。

ぼくは自転車のハンドルだけを見つめて、自転車を加速させた。マスク越しにわけのわからぬ奇声を上げた。

「ソーシャル! ディスタンス!」

目線を上げると、薄汚れたラスタ・カラーの作務衣にレンガを持った男がいた。ぼくはそいつを殺そうと、ただそれだけを考えて突進した。

が、横からなにかを投げつけられ、ぼくの自転車は騒々しく倒れた。ぼくは道に放り出された。そこに、さきほど目標した男が走って近づいてきた。体勢を立て直そうとするが、日頃の不摂生と異常な状況で、身体がうまく動かない。男に馬乗りの姿勢を取られた。ぼくはとっさに、ポケットから食事用のフォークを取り出して、男の腕に突き立てた。が、非力さゆえに、突き刺さることもなかった。男の腕は日焼けしていた。いま、殺されそうなのにへんなところに気づくものだな、と思った。そんなことを思う自分のことをまたべつの自分がおかしく思った。

男がぼくの顔面を拳で何度か殴った。

ぼくは抵抗もできず、ただ、声を弱々しく発した。

「……なんで、こんな。こんなんじゃ、コロナがうつっちゃうぜ、なんでことを……」

男は殴ることをやめて話しはじめた。

「この国は、オーバーシュート以前からこうなっていたんだ。それにもう、コロナなんて終わってるんだ。それなのに、おまえらは、わかっていない」

なにか、諦めたような目をしていた。あらためてレンガを掴んで、振り上げるのが見えた。刹那、頭に強い衝撃があった。

目をひん剥いたぼくの目に、太陽がうつった。

視界が真っ白になった。

濁った紅色が滲んできて、やがて黒く覆われた。

 

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