映画『グリーンブック』― 人間、欠点を言い出したらきりがねえだろ 

 

グリーンブック(字幕版)

グリーンブック(字幕版)

  • 発売日: 2019/10/02
  • メディア: Prime Video
 
グリーンブック(吹替版)

グリーンブック(吹替版)

  • 発売日: 2019/10/02
  • メディア: Prime Video
 

映画『グリーンブック』を見た。まだまだ人種差別の激しい60年代、アメリカのトップランカーである黒人ピアニストの南部ツアーを、ブロンクス育ちのイタリア系白人が運転手、マネージャーとなり旅する話だ。実話に基づいている。

おれはほとんど予備知識なく見た。なんとなく、黒人ピアニストがもっと爺さんだと思っていた。なにかべつの映画と混じっているのかもしれない。出てきたのは、「ドクター」だった。インテリでクールなやつだった。すごく独特の存在感がある。

一方で、イタリア系のおっさんは下品で粗野なところもある、口からでまかせ野郎だが、一本芯が通ったところがある。そのキャラも愛すべき野郎という感じがする。

そんな二人が、黒人差別の激しい南部を行く。まあだいたい、あんたが想像したような話になる。北部ではインテリ、上流階級に褒め称えられ、高級ホテルの上階で豪奢な暮らしをしているピアニストも、南部に行けば黒人用ホテル(そのガイドブックが「グリーンブック」だ)、黒人用トイレ、黒人お断りレストラン。そういう現実にぶちあたる。イタリア野郎もそれを目の当たりにする。イタリア系とて、当時のアメリカで決して大きな顔ができる存在でもなかったろう。

そこんところで、なんつーのかね、たしかにあんたは黒人だが、ロバート・ケネディとコネのあるような大金持ちだ、おれは下町の貧乏人だ、金も学もねえぜ、という構造もでてくる。イタリア野郎の言う通り、世の中は複雑だ。

でも、おかしみがあり、救いがなけりゃ、おもしろくねえ。むしろ、おもしろくなけりゃ、この映画がいろんな賞をとったりしねえ。おもしれえのが先だ。おもしろくねえ映画に、そんなに価値はねえ。説教読みたきゃ教科書か学術書を見ればいい。そこんとこで、この映画はとてもいい。おもしろいからだ。

が、一方で、これを見ながら、「おれは日本に住む日系日本人だからわからねえけれど、これに対して文句もあるんだろうな」とか思ってしまった。見終えて、Wikipediaを見てみたら、案の定だった。

グリーンブック (映画) - Wikipedia

一方で、絶賛ばかりではない。本作のアカデミー賞作品賞の受賞に対して、同じく作品賞にノミネートされていた『ブラック・クランズマン』のスパイク・リー監督は不快感を表すコメントを残し、同様に作品賞候補になった『ブラックパンサー』の主演チャドウィック・ボーズマンも、不満をあらわにした[21]。メディアでも批判を主張する人は少なくなく、米紙ロサンゼルス・タイムズのジャスティン・チャン記者は、本作の作品賞を「『クラッシュ』以来最悪のオスカー作品賞」と酷評[21]。SNSでも苦言が相次いだ[21]。

これらの批判の背景には、主人公であるトニー・リップの役柄が「黒人を差別から救う救済者」として誇張された伝統的すぎるキャラクターだったこと、また、シャーリーの遺族から「この映画が伝説のピアニストと家族の関係について観客に誤解を与えるような解釈をしている」との抗議も受けていたことがあるのでないかと指摘されている[22]。

白人の救世主 - Wikipedia

映画における白人の救世主(英語: white savior)とは、白人が非白人の人々を窮地から救うという定型的な表現である[1]。その表現は、アメリカ合衆国の映画の中で長い歴史がある[2]。白人の救世主は、メシア的な存在として描かれ、救出の過程で自身についてしばしば何かを学ぶ[1]。

遺族による家族関係というものについては、さすがに立ち入れないからわからない。が、「白人の救世主」についての批判となると……やっぱりおれには立ち入れないような気もしてしまう。おれは日本から一歩も出たこともない日本のマジョリティであって、アメリカ合衆国のある時代の黒人とイタリア人についてなにを語れるのだろうか、という気になる。

おれのそのような態度を「知的怠慢である、学習せよ!」というのもいいだろうし、「内なる差別主義を自己批判しろ」といわれてもしかたない。おれは『グリーンブック』という映画がそこまで酷いものには思えなかったし、むしろ悪くない、いい映画だと思ったからだ。そして、そんなにPC的なものからかけ離れているようにも思えない。「なんか文句言う人もいるだろう」と思ったくらいだ。その「なんか」も「なんか」であって、具体的に「白人の救世主」像だ、とわかったわけでもない。

あらためて、非アメリカ人の無学で倫理的でない一視聴者として思うに、人間、欠点を言い出したらきりがねえよって思うのだ。

外山恒一『良いテロリストのための教科書』を読む - 関内関外日記

 もともと何となく後ろめたい気持ちもなくはなかったところに、華青闘告発で「おまえら日本人は過去に近隣諸国を侵略して、おまえらが現在そこそこ豊かな生活を送れるのも過去にそれらの悪事を重ねて肥え太った結果じゃないか」と非難されて、罪悪感にさいなまれ“日本人として”自己批判してああいう歴史観を急速に形成し、内面化したわけです。(後略)

―そういった人たちはどうすれば目が覚めるんでしょうか?

外山:当人たちもキツいんじゃないかと思うんですが……キツくないのかなあ。私はキツかったんで、逃げました(笑)。

こういう「キツい」自己批判の内面化の先行きに、なにかいいものがあるのかどうかおれにはわからない。「キツいからといって黒人の心からの批判を聞かなくていいと思っているのか!」、「日本人として他人種への差別心を総括したことがあるのか!」と言われても、おれはもう、そこんところはごめんなさいだ。すまないが、おれにそこまでの高い知性と倫理性はないので、まあせいぜいなにかに気づくときがきたら気づくこともないわけじゃないだろうから、それまで十年でも百年でも一万年でも待っていてくれと言うしかない。

そのうえで、おれは「『グリーンブック』はおもしれえ映画だったぜ」と言うのである。作品と、おれの間のほかに、何かが割り込むことはない。割り込みたかったら、この映画のように、おれと一緒にどこか旅にでもいかなけりゃ、わかりあうことなんてできねえんだよ、たぶん。

魂の落としどころがどっかにあるはずなんだ、たぶん - 関内関外日記

でもさ、人類の人種も文化もなしにさ、どっかしら人間同士の落としどころみてえなもんはあると思うよ、俺はそう思う。そう妄想する、そう希望する。
 で、それはなにかっていうと、愛、だとか、正義、だとか、思想、だとか、あるいは科学、とかでもなしに、もっとろくでもないもの、人間の弱さ、卑怯さ、怠惰、汚さ、ずるがしこさ、いい加減さ、そんなもんじゃねえのかって。強さより弱さ、正しさより間違い、美しさより醜さ、そっちで手を繋げるんじゃねえかって妄想だ。そこが落としどころじゃねえのって。俺はそんな夢を見る

 

 

グリーンブック [Blu-ray]

グリーンブック [Blu-ray]

  • 発売日: 2019/10/02
  • メディア: Blu-ray