外山恒一『良いテロリストのための教科書』を読む

 

良いテロリストのための教科書

良いテロリストのための教科書

 

本書を手にとる人のほとんどは、2007年(平成19)年の東京都知事選への立候補によって私のことを知っているのだと思う。とりわけ、選挙戦を離れて独り歩きしてネット上に広まったテレビ演説、すなわち政見放送の動画によって。

本書「まえがき」はこう始まっている。本当はそれ以前から政治運動、執筆活動をしてきたのに、政見放送が大きくなりすぎた、と。

とはいえ、たとえば最近ネット上で少し話題になった下のような記事を読んでもらいたい。

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これを読めば、外山恒一がクレバーで面白い文章を書く人間だということがわかるだろう。政治、思想に通じていて、その上で極右ファシストを自称する、一筋縄ではいかない人間だ。

その外山恒一が、青林堂から本を出すわけである。その経緯については本書にあたってもらいたいが、これはとんでもなく変な状況には違いない。本人もそれをわかっており、結局は「青林堂の本を好むような保守・愛国者層に左翼思想や左翼運動史をインタビュー形式で伝える」という「てい」になった。インタビュー形式であって、実際は自問自答の自作自演である。結果として読みやすいものになっていると思う。

 

で、本書の左翼運動史について学んだことを書く前に、おれについて述べておくべきだろうか。おれの政治思想的な立ち位置は……なんだと思う? おれにはわからない。ただ、おれは大杉栄やその一党を愛するので、アナキストといいたい気持ちはある。だが、天皇に対するなんとも説明し難い複雑な思いなどもあり、はっきり言って自分でも整理がつかない。

出自からいえば、おれの父親は早稲田大学政治経済学部ノンセクト・リベラルとして学生運動をしていた。しかし(といっていいのか)、父と母の仲人は革マルアジテーターとしても知られる現・宝島社社長の蓮見清一氏である。母は一般家庭の出だ。

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というわけで、おれはわりと早くから政治思想、とくに新左翼思想を吹き込まれて育ってきたといえる。小学校の夏休みの宿題で米の輸入について(当時話題になっていた)書かなければいけないとき、父になにか参考になる(=書き写せる)本はないかと聞いたら、吉本隆明の同人誌である「試行」を持ち出してきて、一席ぶたれるような感じである。

とはいえ、おれは立派な左翼少年になったかというとまったく逆であって、小林よしのりなどを好んで読み、その後は見沢知廉なんかを愛読し、軍歌を好む愛国少年になってしまったわけである。父は「わしは反米愛国のつもりだったが、そこばかり伝わってしまったか」というようなことを言っていたような気もする。ちなみに、「反米愛国」の旗印は成田闘争で……。

……まあ、おれのことはいいか。そういうわけで、おれのなかの政治部分というものは、なにか奇妙なキメラ的なものであって、「歩兵の本領」と「メーデー歌」をちゃんぽんで歌うようなやつ、ということである。

話を『良いテロリストのための教科書』に戻す(このタイトル、アルベルト・バーヨの『テロリストのための150問』を思い出させるよね)。

……社会主義者たちの要求は、土地や工場などの「生産手段」の私有を禁止せよというものです。誤解している人が多いのですが、いわゆる「私有財産の廃止」という時の「私有財産」とは土地や工場設備のことで、食器からパンツから何でもかんでも“共有”にしろという意味ではありません。で、土地や工場などの「私有財産」を資本家たちから取り上げて社会の共有財産にしろという社会主義者たちの主張は、またの名を「共産主義」というようにもなったわけです。

して、おれのように高卒の右翼思想、左翼思想、アナキスト「趣味」者は、このあたりの基本(正確かどうかはしらん)を、たとえば筆記試験のような形で問われたら、うまく答えられないような気がするわけである。

アナキストについても少々触れられている。

―かといってアナキストも“永遠の抵抗者”でしかあり得ないんでしょ?

外山:マルクス主義者はアナキストのそういう非現実性を批判するわけです。もっとも先ほど留保したようにアナキズムもいろいろです。“永遠の抵抗者”でいいんだというアナキズムもありますし、労働組合がそのまま自治組織の機能を担えばいいだけだとするアナキズムもあります。

 右翼と親和性の高いアナキズムもあるんですよ。たとえば日本の右翼思想には「社稷」という考え方があるでしょ。元は儒教的な概念ですが、人々を強権的に支配するような国家ではなく、伝統的な地域共同体をゆるやかにまとめる祭祀を司る王がいて……的な国家イメージですね。「社稷」的な国家を理想してアナキズムに共感を抱いた右翼思想家もこれまでにたくさんいますし、逆にそういう右翼運動に転じたアナキストもたくさんいます。

「永遠の抵抗者」というと、埴谷雄高あたりが思い浮かぶ。「永久革命者の悲哀」である。花田清輝よ。

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そして、「社稷」で右翼でアナキズムとなると、名前を出してはいないが権藤成卿あたりになるだろうか。

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権藤成卿と、たとえば石川三四郎は仲良くなれたのかなれなかったのかどうか、おれは長年疑問に思っていることである。

さて、話は60年代学生運動に移ろう。こんなエピソードが紹介されている。

 共産党は“暴力”を否定していましたが、警察などの体制側に対して暴力をふるわないだけで、新左翼に対しては徹底的に暴力をふるいました。そもそも組織は共産党のほうが圧倒的にデカくて社会各層に浸透しているんだし、動員力も情報力も宣伝力も資金力も段違いで“ゲバ棒”ならぬ自称“民主化棒”を手にした黄色いヘルメットの、高価なピッチング・マシンとか使って投石してきたりする民青の部隊が結局は最強だったそうです(笑)

父から聞いた話では、学生同士の乱闘となると右派の相撲部が一番強かった、というのがあるが、ピッチング・マシンにはかなわんだろう。ところで当時、右派の大学の倉庫には、革命に対抗するため機関銃が秘蔵されていると信じられていたらしい、という話も聞いた。

で、さて、本書でおれが初めて知った、重大なエピソードについてメモしよう。新左翼の「反差別」路線を決定づけた華青闘告発事件、これである。どういう告発かは、以下のサイトをまず読まれたい。

華僑青年闘争委員会 - Wikipedia

華青闘は当事者無視の中核派の行動に反発し、7月7日の集会当日に新左翼各派に対して訣別宣言を出した。この宣言は別名「華青闘告発」ともいい、「当事者の意向を無視し、自らの反体制運動の草刈場としてきた新左翼もまたアジア人民に対する抑圧者である」という痛烈な批判であった。華青闘はこの日をもって解散した。

新左翼各派はこれに強い衝撃を受けて次々と自己批判を声明するに至り、マイノリティとの連携を模索するようになった。

 

七・七集会における華青闘代表の発言(1970年7月13日前進3面)

(華青闘告発のほぼ全文)

 

ともかく、この告発により、「我こそは世界革命の指導部なり」とふんぞり返っていた新左翼の主要各派が自己批判するにいたったと外山は言う。

……新左翼の、“反差別”を最優先の至上命題とするPC路線への転換はこの集会を境に決定的となります。

 ちなみに新左翼の中でも革マル派は、そもそも「全国全共闘」から排除されていてこの集会にも参加していませんから、華青闘告発から何の影響も受けていませんし、その後も機関紙とかでいわゆる“差別用語”を使いまくったりしています(笑)。他にも“大衆の実感”のようなものを重視する吉本隆明という新左翼思想家の大御所の影響下にあった党派は、“反差別”を旗印にした極端な潔癖主義に反発してPC路線とは距離をおきますが、それら一部の例外を除くほとんどの新左翼党派は華青闘からの批判を全面的に受け入れました。

PC路線のPCとはポリティカル・コレクトネスのこと。もっとも、当時この言葉はなかったろうが。ともかく外山自身が極左から極右ファシストになったのは、この左翼の潔癖主義、PC路線への反発、嫌悪であって、そこから過去を見たとき華青闘告発を一つのターニング・ポイントと見たのだろう。外山の「転向」については、とりあえず本書にあたられたい。ちなみに、このPC的思想を深めて行きついた先の一つが、自ら「反日」を標榜する東アジア反日武装戦線ということになる。

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 もともと何となく後ろめたい気持ちもなくはなかったところに、華青闘告発で「おまえら日本人は過去に近隣諸国を侵略して、おまえらが現在そこそこ豊かな生活を送れるのも過去にそれらの悪事を重ねて肥え太った結果じゃないか」と非難されて、罪悪感にさいなまれ“日本人として”自己批判してああいう歴史観を急速に形成し、内面化したわけです。(後略)

―そういった人たちはどうすれば目が覚めるんでしょうか?

外山:当人たちもキツいんじゃないかと思うんですが……キツくないのかなあ。私はキツかったんで、逃げました(笑)。

ここで「私はこれこれこういう理論で克服した」と虚勢を張らず、「逃げた」といえるあたりがいいと思う。もちろん、それは諧謔であって、当人のなかで片付いていない課題なのかもしれないが。

して本書は、こういった昔の流れを解説したあと、80年代そして、現代のネット上で目にする現役の(?)活動家や運動について述べられている。そのあたりは、おれはあんまり興味ないので割愛。

ただ、山本太郎について触れている部分が面白かったので、ちょっとメモしておく。ちなみに、本書は平成29年に出版されているので、れいわ新選組はまだ影も形もない。

……左翼が原発に反対しているからこっちは賛成に回ろうなんてココロザシの低いことでは愛国者を名乗る資格はありません。むしろ左翼から原発問題を奪ってしまうぐらいでないと……愛国者の皆さんには山本太郎さんはちっとも人気がないようですが、私が見る限り、あの人はもともと右寄りの人ですよ。

―ほんとですか!?

外山:新選組にいたらしいですから。

―それはドラマの話でしょ!(笑)

外山:まあ連合赤軍にもいたようですけど(笑)。でも、そもそも例えば陛下への素朴な信頼がなければ“直訴”なんてするわけないでしょ? というか、“穏健左派”のリベラル派の諸君以外は、共産党やパヨクまで含め左翼の多くはあの“直訴”に批判的でした。

 やっぱり山本太郎氏は本来は左翼・左派ではないんですよ。たぶんかなり体育会系的なメンタリティの持ち主で、基本的は保守的な人だと思います。

言うまでもないがドラマは大河の『新選組!』、連合赤軍のほうは高橋伴明の『光の雨』だろう。それはそうとして、山本は原発のことだけで左翼に取り込まれたという。それが残念だという。

 私は山本太郎氏が左傾したのが残念でならないんです。だって彼はメチャクチャ優秀ですよ。何度も言うように私は反議会主義者で、何百人もいる議会に少数派はせいぜい1人か2人を送り込んでパフォーマンスでもやってもらう以上のことはできないと思っていますが、彼はそのせいぜい可能なパフォーマンスを最大限にやっています。しかも彼もやっぱり“3.11以降”の人ですから、パヨクの諸君のように共産党と接近しても不思議ではないのに、なぜかそっちには行かないでしょ。もちろんだからといって小沢一郎と組むのが正解だとも言いませんが、共産党と仲良くするよりは何だってマシです(笑)。しかも、ご存知かもしれませんが山本太郎氏は「ヘイトスピーチ解消法」には反対票を投じたんですよ。

 彼はかなりマトモだと私は思っています。右が反原発に冷たくしたせいで彼を左においやってしまったのはつくづくもったいない。もうそんなことを繰り返してはいけません。

 って、こんな記事を見たばかりなのだけれど。

共産・れいわ 衆院選に向け連携で一致 | NHKニュース

共産党と連携しちゃったよ、山本太郎。さて今後、山本はどのような道をたどるのであろうか。とはいえ、直訴が素朴な天皇への信頼というのは、言われてみればそうだよな、とか。というか、今の自民党なんかに比べたら、皇室の方がよっぽどリベラルという見方もあるし、その、なんというか、日本の左翼と天皇、この連結(恋闕?)みたいなものもあるだろう。あるいは、超国家主義天皇であるとか、そのあたりはまた勉強していきたいところではある。

というところで、ちょっと左翼史を勉強したい、復習したいという人に、本書はおすすめである。青林堂が嫌だというのであれば、図書館で借りればよかろう。以上。

 

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以下、関係あるかないかわかんないけど、政治的なエントリー。

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