オストアンデル! 『俗語発掘記 消えたことば辞典』を読む

 

広大なネットのどこでなにを読んだのだか忘れてしまったが、「死語おもしろいな!」と思ってこの本を手にとった。あるいは、この本の紹介を読んだのかもしれない。

この本、と書いたが、「辞典」である。「あ行」からはじまる。内容も「筆者が収集した用例を、これでもかというくらい入れた」ものだ。どこから読み始めてもいいというが、冒頭から読み始めたらとまなかった。

しかし、「消えたことば」といっても、あんがい消えていなかったり、発祥はそうとうに古くても自分が知っていたり、ごく近年(本書は2016年発行)のネット用語でも消えていたり、やはり言葉はおもしろい。

「あ行」から気になった言葉について触れていく。

アベック。これは「カップル」と言わずに「アベック」というとおっさんというか年寄り扱いされる言葉のいい例だ。とはいえ、おれが中学生のころ(ってもう三十年近く前のことになるが)、アベという名字の同級生が「アベック、アベオ~」といじ(め)られていたのを思い出した。べつに誰とアベックというわけでもなく、単にアベというだけだったのだから本当に内容がない話だ。あと、「アベックホームラン」はまだ生きているかな? と思ったら、本書の著者の見解ではまだスポーツ紙で生きていると最後に触れられていた。

 

あんぽんたん。これは言葉として若い人も知っているのではないだろうか。でも、使ったことはあるだろうか。おれですらないように思う。由来は諸説あるが、江戸時代にはあった言葉という。本書では取り上げられていないが、やっぱり『ドグラ・マグラ』の「アンポンタン・ポカン」君が思い浮かぶところ。

 

ウンチング。意味は「大便をすること」。戦前の旧制高校の学生語だったという。おれが子供のころ、巨人にクロマティという外国人選手がいて、かなり尻を下げた構えをしていたので、それを皆で「ウンチング・スタイル」と呼んで草野球で真似などしていたのを思い出す。クロマティには失礼な話ではある。

 

エッチ。エッチという言葉は消えていないが、意味として消えていったものがあるという。「男性同士の疑似性行為」、「(英語のhusbandの頭文字から)夫」……。そして、「変態」も死語扱いだが、これについては海外に「HENTAI」として渡っていったのかもしれない。いや、海外で「H」と略されているかしらないが。

 

エムエムケーMMK。もててもてて困る。KYを「空気が読めない」とするようなアルファベット化、これは戦前から行われていた。海軍士官などのエリートが英語を取り入れてつかったらしい。MMK阿川弘之が『軍艦長門の生涯』に記している。九十年代には女子高生の間で「まじムカつく切れる」、「まじムカつく殺す」の意味で使われていたらしい。こわい。

 

オストアンデル。この外来語っぽい言葉、なんだと思いますか? 饅頭のことである。「押すと餡出る」。小沢昭一の著書に、子供時代に使われていた言葉として掲載されていたという。1930年代。おっぱいについては「ミルクタンク」といったらしいが、これは現代でもかなり特殊な領域で使われるかもしれない。この昭和初期の外来語風の俗語、大量に挙げられている。「グルリアン」(おはぎ)、「デルトマーケル」(弱い力士)、「フミクバール」(郵便配達)……。

 

蒲鉾ブス。これは聞いたことがない。「ブスが板についているというしゃれ」というが、そうとうにえげつない言葉だ。「ブス」というのは1928年に発行された『不良少年の実際』という本の付録に「ブスケ 極醜女」とあるらしい。また、やはり終戦後の不良の間で「不男」の「ブ」と女性を表す「スケ」が合わさった隠語であり、これが広がったともいう。おれが「ブス」という言葉で気になっているのは、関西の芸人などが男についても使っている点だ。それはそうと、この項ではいろいろな「ブス」の類語があって女性が読んだら怒るかもしれない。ただ、『現代用語の基礎知識』の「若者言葉」にあり、消えた扱いされている「デブス」(81年版)については、現在のインターネットでもよく見かける。罵倒というより、自虐が多いように感じるのは「はてな匿名ダイアリー」の読みすぎだろうか。

 

銀ブラ。これについては「銀座でブラジルコーヒー説」というのがある。ただ、本書では銀ブラの語源について諸説取り上げられているも、「ブラジルコーヒー説」は取り上げられてすらいない

 

ぐりはま。これは「はまぐり」の倒語で、物事の手順が結果が食い違うことという。江戸時代に流行った言葉といい、これは完全に消えた言葉だ。が、「ぐりはま」→「ぐれる」→「愚連隊」などと展開していった。ちなみに「愚連隊(グレン隊)」は横浜生まれの言葉らしい。

 

薩摩守。これは「薩摩守平忠度」と「ただ乗り」をかけた「無賃乗車」という俗語。なかなか風流だ。近頃よく見るのは「アメリカでは」とか「フランスでは」とか「スウェーデンでは」とかいう人を「出羽守」と揶揄する表現だろう。それほど風流ではない。

 

シャッポを脱ぐ。降参する。語源は帽子を取る。これ、日常で使ったことはないけれど、小さいころから知っていた言葉のような気がする。昭和初期までよく使われていたというが、そこから消えていく過程で、たとえば昭和サラリーマン四コマなどに出てきて、幼いころのおれが読んだというようなことだろうか。ちなみに、この語から「ポシャる」が出てきたという。こちらは現役だろう。

 

ちちんぷいぷい。これに続いて「いたいのいたいのとんでいけ~」だろうが、果たして現代の母親が子供に使っているのかどうか。ちちんぷいぷいは江戸時代から使われていたという。

 

ちゃりんこ。これを「自転車でしょ」というだけでは「知識が浅い」という。子供のスリ、浮浪児、不良少年を指していたことがあるという。1950年代ごろ。知らんかった。自転車の意味で広くつかわれ始めたのは1970年代半ばで、語源は朝鮮語

 

チョンガー。これも朝鮮語語源。朝鮮で未成年男子の髪型「総角」という言葉が大正時代に入ってきた。本書では触れられていないが、ザ・ドリフターズの「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」で歌われているくらい一般的な言葉だったのだろう。おれはもちろんリアルタイムで知らないが、伝説的インディーズバンド「猛毒」がサンプリングしたのを聞いて知ったような気がする。

 

出歯亀。これは今でも意味は知られているし、あるいは人名由来ということもよく知られているかもしれない。歴史に名を残すとはこういうことかもしれない。もちろん不名誉なことだが。「出歯る」という派生動詞もあったらしい。また、同じように名前から派生した言葉として「八百長」があげられている。

 

テンプラ。メッキの偽物を侮蔑して言う言葉。これはもう消えた俗語だろう。とはいえ、おれはもっと限られた意味で「テンプラ」を知っている。それは、血統をごまかした競走馬、あるいはその行為のことだ。主にアラブにおけるサラの血量についてだったか。もっとも、これももう現代競馬では死語になっている。

 

ナオミズム。変態性欲の意。谷崎潤一郎の『痴人の愛』の主人公から生まれた語。ほかに日本語にイズムをつけた英語もどきが紹介されていて、その一つに「チラリズム」。まだかろうじて生きている語のようにも思えるが、興味を持ったのはその語源。なんと女剣劇のスターだった浅香光代のちらりちらりと見える太ももが語源という。知らんかった。

 

ヒコページ・マメページ(彦頁・豆頁)。本書は縦書きの本だが、こうして横書きにすると一発でわかる。顔と頭だ。これ、昭和初期の女学生の流行語だという。現代でも「木亥火暴」とか書いてるんだから、日本人のやることは変わらんなあ。と、思ったら、文字を分解して遊ぶのは中国から伝わったという。さすが漢字の生まれた国。

 

骨皮筋右衛門。これは懐かしい。おれは小さいころ、背は低いし、かなり痩せていたものだから、よく母親から言われたような気がする。もう使われていない言葉だろうか。

 

メッチェン。ドイツ語から、女の子、少女の意。おれ、中学生のころ、やはりそういうお年頃なのでエッチなものには興味津々。そのなかにはポルノ小説も含まれていた。が、一冊、やけによくわからないカタカナ語が頻出するものがあった。メッチェン? ベーゼ? ……エッチな気持ちはどこへやら。「ひょっとしたらかなりの老作家が普通小説では食えなくなり、このような本を書いているのではないか」などと勝手に想像したりした。最近ではamazarashiというバンドの「ヒガシズム」(これも日本語+イズムをかけてますね)という曲に「メッチェン」の語が出てきて(そういうバンドなのです)、聴くたびにやはりあの本を思い出すのだ。

 

ランデブー。「逢い引きと思った人はかなりの老人。宇宙ロケットのドッキングと思った人は中年。なんのことか分からない人は若者だ」そうだ。おれは中年ということになるのだろうが、SFのオールタイム・ベストに入る名作『宇宙のランデヴー』があるのだからしかたない。「宇宙のドッキング」では味気ない。

 

以上が、辞典パートのごく一部。巻末の「解説」もなかなか読み応えがある。俗語とはなにか、なぜ消えていくか学べるであろう。ちなみに、TwitterやLINEなどの用語にも触れられているが、最初に書いたようにもう消えているものもある。

科学技術や、それこそインターネットも変化し続けるし、いつの時代の誰もが時代の証人ではあるが、言葉の移り変わり、生き死にの証人とも言える。そして、たとえば自分がこうやって打っている益体もない文章だって「この時代の文例」となるわけで、言語学者が古い俗語辞典に当たらなくてもいい時代もやがて来るだろう。