「カレンダーの消えた人生」を探して

blog.tinect.jp

またまた寄稿させていただきました。ひきこもっていたころの話を書きました。キーワードは「カレンダーの消えた人生」です。そちらのエントリーにも書いているのですが、自分がひきこもっていたころ、テレビのニュースかドキュメンタリーで、ひきこもりが扱われていました。たぶん、家族と見ていた。非常に気まずい。けれど、そこで語られていた「カレンダーの消えた人生」という言葉は非常に印象に残った。「ああ、まさしくおれの生活、人生だ」と思ったのです。

で、その「カレンダーの消えた人生」という言葉なのですが、なんとなく、取材対象の人が本を書いたというようなことだと思っていたのですね。でも、検索してみても出てこない。「人生カレンダー」のような、なにかポジティブなカレンダーとか出てくる。あるいは、Googleカレンダーが消えたとか、iPhoneのカレンダーが消えたとか、そんな技術的な話題ばかりひっかかるのです。

とすると、おれにずっと寄り添っていた言葉であるにもかかわらず、なにか言葉を勘違いしていた、ということもあるかもしれません。「カレンダーのない人生」とか「カレンダーの消えた生活」とか。まあ、それでもひっかからないので、そういう書籍もなく、書いた人もいなかった、ということになるのでしょうか。

たとえば、そういうドキュメンタリーはあったし、取材対象の人が本を書いたけれど、「カレンダーの消えた人生」は著書名ではなかった、とか。もし、そのテレビのドキュメンタリー番組、あるいはニュースの一コーナーのタイトルが「カレンダーの消えた人生」だったとしたら、二十数年前の話、ネットに残っているわけもない。

というわけで、いろいろ検索してみても「カレンダーの消えた生活」は見つかりませんでした。とはいえ、これはおれの人生、生活の根っこでもあります。おれは何年に高校を卒業し、何年に労働を初めた、そのことがわからない。まったくわからない。人生のカレンダーというものがあれば、おれのそれは消えてしまっているのです。

でも、「カレンダーの消えた人生」というような言葉は、おれのオリジナルではないのです。おれより十年先か、二十年先かを生きた人の、あるいは同世代でひきこもっていた人の言葉です。あるいはその人を誰かが言い表した言葉です。おれは、たぶん死ぬまでこの言葉とともにあるのだろうと思います。

f:id:goldhead:20090730000521j:plain