金曜日の夕方、おれは自宅アパートの近くで自転車を押して歩いていた。短い階段や未舗装の路地などあって、おれは帰宅の最後、自転車を押して歩く。
いきなり、人の姿が現れた。しゃがんでいた子供が、立ち上がったのだ。一軒家の敷地内である。低い塀がある。
そのまま通り過ぎようとすると、声をかけられた。小学校低学年くらいの女の子だ。手に何かを持って、こちらに差し出している。
「エゴマ」
手には葉っぱを持っていた。
「エゴマ?」
と聞きかえす。
「あげる」
という。
「どうも」
とかえす。
おれは二枚のエゴマの葉を持ってアパートに帰った。
帰り、アパートの近く、近所の家の小学生の子からとつぜんエゴマの葉を二枚もらう。お礼は言ったが、なんだかよくわからない。 pic.twitter.com/3ZCiSfPupU
— 黄金頭 (@goldhead) 2022年6月24日
エゴマの葉、二枚。
四十年と少し生きてきて、見知らぬ人からとつぜんものをもらう。こんなこと、あったろうか。よくわからない。よくわからないが、その人にとって、おれはものをあげるのにふさわしいとみなされたのだろう。ただ、歩いていただけで。
こんなことがあっていいのだろうか。ネット越しに、見知らぬ人からいろいろいいものをたくさんもらってきたが、それはおれがネットでなにか文章や写真などをアップしてきたことに対するなにかだろう。でも、あのとき、おれは、自転車を押して歩いていただけだった。
こんな柄物のシャツを着て、ピアス3つつけて、ずったら、ずったらと。子供からみて警戒すべき大人のはずだ。
それでも、にじみ出るおれの誠実さ、安心性、カリスマ、それとも、なにかを恵んでやらなければならないと思わせる惨めさ……。
いずれにせよ、四十年と少し生きてきて、見知らぬ子供からとつぜんエゴマの葉を二枚もらった。すごくね? すごいだろう? おれにもすごいこと、あるんだな。人生というもの生きてきて、こういうこともあるのだな。
エゴマの葉、二枚。コンビニのラーメンサラダに混ぜて食べた。おいしかった。人生はときどきおいしい。
ときどき空は美しい。