石原莞爾の妻との恋文

 

この間、中島岳志の『超国家主義』を読んだ。

 

 

同著者の『朝日平吾の鬱屈』、『親鸞と日本主義』をはじめとして、いくらかいろいろな当時についての本を読んでいたので、いわばダイジェスト的な本であるという印象をうけた。一方で、あまりそのあたりについて知らないという人にはおすすめの本である。

 

で、この本で「これは知らなかったな」というのは石原莞爾の恋文についてである。Wikipediaにも書いていない。石原莞爾はご存知の通り、日蓮宗国柱会にのめり込んだが、それに愛妻を引き込もうとしていた。が、宗教に引き込もうというような意図を超えて、信仰と愛が一体となったすごいラブやんという内容であったので、そうであったのかと驚いた。

 

 (国柱会)入会直後の五月、中国の漢口に赴任することになった。彼には前年に結婚したばかりの妻がいた。その名は銻。新婚早々、妻と離れて単身赴任生活を送ることを余儀なくされた。

 

余儀なくされた石原莞爾は毎日手紙を書く。五月二十三日の手紙。

 

 銻ちゃんもほんとうに仏様を拝む様になりましたら、此退転し易い私もどんなに心強くなる事でせう。よしや千里離れて居ませうが、万里離れて居ませうが、真心で一心に本仏を拝み、それに合体出来ましたなら、其時こそ二人が完全に結合されて居るではありませぬか。

 

完全なる結合、融和、融解。人類補完計画ではないが、人々が分け隔てなく溶け合う世界。それが超国家主義の特徴のひとつと言っていい。もちろん、一君万民、ではあるが。

 

ともかく、まずは日本という国が「南妙法蓮華経」に帰依しなくてはならず、それ以前に家族も帰依しなくてはならない。ところが、銻さんはなかなか国柱会に帰依しない。

 

 銻ちゃんの無限の愛に浸り得て自らの凡てを捧げることを知り得た私は、初めて本仏に対する帰依に入り得る様になったのです。そうして然してまた本仏に対する絶対の帰依により、初めてほんとうに二人は同体となれたのです。(中略)南妙法蓮華経によって堅く結び付けられた二人は、宇宙法界間のどんな出来事があっても少しもびく付く心配はないのです。此処に最大の幸福が、此処から実うの発奮が生れて参ります。南妙法蓮華経、南妙法蓮華経銻ちゃんどうぞ一所に唱へて下さい。南妙法蓮華経

(原文はカタカナ)

 

と、このような石原莞爾の押しによって、ついに銻ちゃんは国柱会入りを決断する。それを知った石原は周りに参謀や将校がいたにもかかわらず、号泣したという。

 

とはいえ、銻は中国へ来るように願う石原の願いになかなか答えない。ついには、毎日来る石原莞爾の手紙に答えることもなくなり、国柱会への行事へも参加しない。なんとなくよそよそしい手紙などが来る。石原莞爾は不安になる。

 

 極度の不安に苛まれた石原は、何度も過去の手紙を読み返した。時に汽車に銻からの手紙が山積みされて届く夢を見た。郵便物が届く事務室に何度も足を運んだ。しかし、そこに手紙はなかった。彼は、そのたびに落胆し、絶望の淵に立たされた。

 年が明けて1921年1月13日。待ちに待った銻からの手紙が届いた。しかし、開封してみると、そこにはよそよそしい文章がつづられていた。

 石原は混乱した。どうしていいかわからなかった。銻の心が全く読めなかった。

 二人の危機は、世界の危機と直結した。二人の動揺は、世界の動揺だった。何だかわからない、どうしていいかわからない。

 石原は自らの弱さに打ちのめされた。透明な世界が崩壊した。

 

二人の世界が世界の危機と直結する。セカイ系とか言われるものではないだろうか。たぶん、それに似ている。そういう感性が、もともと日本人にはあるのかもしれない。あるいは、全世界の人間にあるのかもしれない。

 

結局、銻は石原の熱意に押されて、中国に来た。石原莞爾満州事変で果たした役割、その目的は皆の知るところだろう。その裏には、こんな人間劇があった、ということだ。

 

石原莞爾の骨も銻の骨も国柱会の「妙宗大霊廟」に納められている。そこには田中智學の骨も、宮沢賢治の遺髪や爪も納められている。「日本国体の精神による信仰の統一」も実現しなかったし、「不老不死の夢」もかなかわなかった(『最終戦争論』)。とはいえ、このような形で南妙法蓮華経のもとに一体となったのだ。ウルトラ、ウルトラ。