気象予報士が「12月に入ると急に真冬になります」と脅していた。実際、昨日から寒かった。今日も寒いかと思った。朝、ドアを開けたら生ぬるい南風が吹いていた。おれは春を思って嫌な気持ちになった。ビルの解体と、ビルの外壁塗装が進んでいる。すごい勢いで家が建てられている。春は別れの季節だ。春は出会いの季節だ。おれは別れも出会いもいやだ。今がいい。これ以上努力してゆたかになりたいとはとくに思わない。ただしこれ以下の貧乏になるのはもっと嫌だ。楽をしたい。なにもしないで金がほしい。環境が変わるのは嫌だ。おれが変わるのはもっと嫌だ。おれは変われない。なにかしようとしても、躁鬱の波がすべてをさらう。生ぬるい南風が吹いた。真夏の暑さも、真冬の寒さも嫌だ。身体的に嫌だ。春の嫌なところは心にくる。秋は少しいい気分だが、毎年短くなっている。ぼろいアパートはひどく冷え切っている。おれがヒースクリフでキャシーを部屋に入れても、部屋の寒さにキャシーは部屋を出ていってしまうだろう。3月は残酷な季節。真冬のおれはそれでも春を待ち望むのか。おれは春に食えているのか。おれに食うことはできるのか。おれは働けるのか。ジョナサン・フリードマンのような人類学者は「古代の奴隷は単に資本主義の古い形であった」と主張しているが、それに対してわれわれが、はるかに難なく主張できるのは「近代的資本主義は単に古い奴隷制度の新しい姿である」ということである。つまり今日では、誰かがわれわれを売ったり貸したりする代わりに、われわれが自分たちを貸し出しているのだ。と、デヴィッド・グレーバーは言った。おれは働きたくない。難なく働きたくない。おれが公暁だったら、とっとと京都に帰っていた。そうだ、京都に行こう。いや、今は時期がよくない。観光客ですし詰めだ。あのとき、人のいなかった京都。東寺を独占できた奇跡。人類がすべて滅んで、おれだけになったとしたら、そうだ、京都に行こう。まずは新幹線の運転を覚える必要がありそうだ。そのために、きかんしゃトーマスでも読むべきだろうか。人生を学ぶためにも、きかんしゃトーマスを。