おれはときどき、あまりにも優雅なレジ打ちの女のことを思い出す。
スーパーのレジ、店員の反応は早ければ早いほどいい。かといって、こちらが急かされるような気になるのは、あまりいいものではない。猛烈に働くダンプカー、ショベルカー、そんなものを思わせるレジ打ちに合わせると、こちらも思わず小銭を数えるのを諦め、財布を重くしてしまう。店員にそんなことをいちいち気にする余裕はない。そんな時間帯があって、そんな時間帯はとくに。
ただ、何年か前に、あまりにも優雅なレジ打ちの女に出会ったことがある。いつものスーパー、見慣れぬ店員。見た目はふつう。ただし、腕の動きが、手先、指先の動きがあまりにも優雅で美しかった。無駄というものはいっさいないのに、まったく美しかった。バーコードの読み取りから、受け皿から金を取り、お釣りを返すそのすべての所作に見とれてしまうほどだった。世の中にはこんな優雅な動きができる人間がいるのかと、おれは驚いたものだった。
その女がそのスーパーにいたのはそう長い期間ではなかった。顔も覚えていないし、名前も知らない。ただ、おれの記憶の中に、あの優雅なレジでの動きだけが残っている。あの優雅な動きにしかるべき場がこの世界の中で与えられ、できれば大勢の人間が感嘆していればいいのだけれど、そのようなこの世界の中の場というのもあまり想像できない。
あまりにも優雅なものにわれわれはあまり縁がない。ときどきスーパーのレジ打ちに現れるが、われわれにはそれに対してどうすることもできないのだ。