もしマネジメントに縁のない底辺労働者が『ドラッカー最後の言葉』を読んだら

ドラッカーを初めて読む

図書館の棚を見ていてこの本が目に入った。薄い本だ。「そうよな、ドラッカーよな」と思い、手に取った。少し読んでみたら、晩年のインタビューらしい。人間、晩年に語ることなど、その人の思想の要諦であろう。いきなり、「この世界はトカゲ人間に支配されている」とか言い出したら、それはそれで本にならないだろう。

というわけで、読んでみた。

 

「経営の本質とは何でしょうか?」―こう問われるたびに、私が問い返す三つの質問があります。

●「あなたの事業は何か? 何を達成しようとしているのか? 何が他の事業と異なるところなのか?」

 

●「あなたの事業の成果を、いかに定義するか?」

 

●あなたのコア・コンピタンス(独自の強み)は何か?」

 

あれ、五個質問してる……? まあいい、なんかどこかで見たことがあるぞ。続いてこうある。

先の質問を一言で言えばこうなります。

「成果を得るために、どんな強みを活かして、何をしなければならないのか?」

一言になってしまった。

ともかく、これが要諦らしい。経営科学=カリスマ的天才に頼らない経営いうものの要諦。

なんともわかりやすい。当たり前のことを言っているように思える。だが、これはおれの持論なのだが、「わかりやすく、当たり前」のことを言っているのに歴史に名を残すような人こそ特級の思想者なのだ。たぶん。

「何をしたいか」ではなく、「何をすべきか」を考える。「何が自分に適していて、何が適していないか」を突き詰める。「不得意なことは決して自ら手がけない」……。むろん、経営者、リーダーの話である。おれは経営者でもリーダーでもないが、そのようなものだろうと思う。経営というと、「株主資本主義」ではなく、「顧客にとって有益か無益か」を優先すべし。それが長期的に正しい。なるほど。

 

ドラッカーの予言

で、ドラッカーは現代(この本のインタビューは2005年に行われた)と将来についても語っている。

 

私はかねてより現代の国際競争において意味を持つの唯一、「知識労働における生産性」のみであると指摘してきましたが、その傾向がますます強まっています。

新しい時代の製造業は労働集約型でなく、頭脳集約型になる。高度な知識労働者をチーム化としてまとめ、機能させよ。

で、日本はどうなのか。「日本が直面しているのは危機ではなく、時代の変わり目=移行期なのです」という。しかし、「失われた10年」という言葉も出てくるが、「失われた20年」というのが定番になってしましました、ドラッカー先生。

で、知識労働者は常に変化していく情報に対応して進歩していくのだから、年功序列は障害でしかないという。一方で、こんなことも言う。

 

 日本が誇るもう一つの伝統、終身雇用制については、むしろ残したほうがいいというのが私の考えです。日本人には拠り所になるコミュニティが必要不可欠で、終身雇用制は会社をコミュニティにすることを保証してきたからです。

 ただし、何事にも「継続と変化のバランス」が重要で、終身雇用制を保つ一方で、人材の流動性を確保する必要があります。新しい時代の労働の中核をなす知識とは、きわめて流動的なものだからです。

 何を残し、何を変えていくのか―この舵取りを誤れば、日本社会は、早晩、時代の変化についていけなくなるでしょう。

流動性を確保しながら、終身雇用。よくわからない。よくわからないが、終身雇用なんて夢の夢という非正規雇用者は増え、コミュニティは失われたような気がするんですが、この舵取りは正しいんでしょうか、ドラッカー先生。

 

 定年の延長を余儀なくされ、今後の20年で74歳まで上がる、と私は予測しています。

このあたりはお見事です、ドラッカー先生。

 おれでも不足する労働人口を補うために、日本は移民を受け入れざるを得なくなるでしょう。20年後には50万人の移民が必要になるという試算もあるほどです。

このあたりは「移民」についての正面切っての議論はまだあまりないかな。「技能実習生」は38万人くらいいるらしいけれど。

 しかし、移民を受け入れて労働市場を活性化しない限り、日本の経済はもはや成り立たなくなるはずです。

成り立たなくなるのかなー。でも、底辺労働者としては、移民とも戦わなくてはならなくなる(職を奪い合うという意味で)のかな。それとも人手不足が勝つのかな。

 

 保護主義に絡めて一言申し添えるならば、最も効果的に日本を外部から保護しているのは「言語」であるということです。難解で、他の言語とは大きく異なった特徴を持つ日本語を母語としていることは、関税など、他のいかなる保護政策より効果的に日本を守ってくれています。

まあ、しかし、こういうところがある。それは知っていた。「他の言語」というか、インド=ヨーロッパ語族だか、英語圏とは距離がある日本語。日本語の障壁が、かろうじて自分を守ってくれている。そういう意識はある。

とはいえ、真にグローバル化されたものは唯一『情報』であるというところからいうと、その情報の大きな部分が英語であることは見過ごせず、日本人にとってハンデになる。インドにはさまざまな言語があるが、それゆえに英語で教育が行われ、英語をネイティブといえる人間が2億人いるとかいう。

というわけで、今後の世界はアメリカの超大国一国体制ではなく、中国とインドがでかくなってくるぞ、とおっしゃる。たしかにそうなった。とくに中国は。でも、中国は中国で問題を抱えているし、ロシアとの関わりではどう転ぶかわからない。インドの脅威はまだまだこれからといった感じもする。さて。

で、日本はアジアとヨーロッパの架け橋になれとおっしゃられるが、さてできているものでしょうか。

 

で、どう生きればいいの?

で、結局のところ、おれはどう生きればいいのか。こういう問いに対するドラッカー先生の回答はたいへんに明瞭だ。

 

 私たちが生きる時代は移行期に差し掛かっており、変化の時代を迎えている―このような指摘をすると、決まって訊ねられる質問があります。

「新しい時代の中で、私たちはどう生きていけばよいのでしょうか?」

 残念ながら、私には生き方を教えることはできません。

 

このはっきりした態度は好もしい。ただ、「個人のイノベーション」についてはいくらか言及してくれている。

 

 すでに指摘したように、知識社会で中心をなす「知識」は、高度に専門家・細分化され、しかもきわめて流動性の高いものとなってきています。知識労働者として要求されるスキルは「情報」の変化に応じて絶えず形を変え、一度身につけたらそれでおしまいというものではなくなりました。

 つねにスキル・アップを心がけることで、自らの未来を切り拓いていく―私たち一人一人に、そのことが求められるようになったのです。

ふーん。

 絶えざるスキル・アップを達成するために最も重要となるのは、自分の強みを把握することです。

 自分が何を得意とするのかを知り、磨きをかけていく―これこそ個人のイノベーションの要諦であり、成果を挙げ続けていくための唯一の方法です。

おげー。

……と、「おげー」と言えるのはおれが知識労働者でもなく、スキル・アップとも縁がない人間だからに他ならない。

優れていない人たち、マネジメントともスキル・アップともイノベーションとも縁のない人間にとって大切なのは、なにか。むしろ、ここで否定されていることではないのか。「情報」に影響を受けにくく、変化は必要とされず、一度身につけたらそれで食っていける技能。これである。

……って、どれだ、それは。日毎に優秀になっていくAIにもとってかわられない職業とは。なんとなくだが、人間にとってエッセンシャルなものであり、そのためには資格が必要とされ、社会の基礎を支えるようななにかだ。ときにそれは身体、両手による技が必要とされる。そんなものだ。今のところ、エアコンの撤去と設置工事くらいしか思いつかない。そしておれはそういう技能を持っていない。さて、君たちはどう生きるかドラッカー先生は答えてくれない。

 

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