保冷も、水漏れも、それ以前の問題だよ!

 

「あ、もしもし、ですね、あの、ですね、御社のね、水筒を買ったんだ。断熱の、その、保冷とかするやつだよ。黒い色の。いや、色は関係ないんだけどね。それがだね、問題なんだよ」

「お客様、落ち着いて下さい。保冷に問題がありましたか? あるいは水漏れでしょうか?」

「あのね、そういう問題じゃないんだよ、保冷も、水漏れも、それ以前の問題だよ! キャップが開かないじゃないか。ボタンをプッシュ、プッシュだよ、押し相撲しても、パカンと蓋がね、跳ね上がらないんだよ。これではね、保冷も、水漏れも、やろうと思ってもできないわけだよ。おたくの水筒というのは、あれか? 空気を入れるのか? おいしい空気を保存するの? じゃあね、空筒とかいって売りなさいよ!」

「あの、お客様、説明書はお読みでしょうか?」

「はあ? たかが水筒に説明書だって? ばかにしているのかね。そんなもの読むわけ無いだろう。ボタンを押す、蓋が開く、飲み物を入れる、蓋を閉じる。使い終わったら、ボトルブラシとか使って洗う。それだけでしょうが」

「お客様、ボタンを押しただけでは、蓋が開かない構造となっております。まず、上部のロックを上にスライドさせて、そしてボタンを押すと開きます」

「ええ、うあ、ロック? スライド?」

「そうです、ロックをスライドで上にずらして、ボタンを押すと、パカーンとなります、お客様」

「ロックを、スライドさせて、ボタンを、押す」

 

パカーン。

 

「お客様、どうでしょうか? 不良品であれば交換いたしますが」

「……ああ、あのだね、わたしたちが、大量の周辺情報を処理しつつ連続した意識を保っていられるというのは、べつに巨大な処理を随時しているわけじゃないんだよ。ある程度、脳の中に自分と周辺の状況のモデルを構築していて、基本的な処理は済ませてあるんだ。前提の中で生きているといっていい。その上で、この実世界、三次元的な客観世界を生きているんだ。しかし、それだけなら、ある種のAIにも意識があるということになりかねない。では、人間の意識とはなんだろうか。超短時間の記憶と未来への仮定、この連続が意識という考え方もある。AIに足りないのはこの時間の感覚というものだ。時間の中の自己というものを認識する自己、このありようだ。人間以外の、単純な生物に自己があるのか、意識があるのかというのも問題になる。それは、言語というものの存在とも関連があるだろう。自己を表す言葉を自らが持つかどうか。言語によって、客観性が生まれるということはないだろうか。ところで、ミハイル・バフチンによれば、<不完結な言葉は、内的説得力を持つ>ということらしいが、言語はそれ自体、単体ではありえないということだ。不完結さが相手の言葉を引き出し、その対話からコミュニケーションが生まれるのだ。一方で、権威的な言葉というのは双方向性がなく、不活性的なのだよ」

「お客様、つまりお客様は安易な先入観に基づいた誤謬を権威的な言葉でオペレーターを詰めていたということでしょうか?」

「ごめんなさい」

ガチャ。

 

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いやね、ふと断熱性能の高い水筒っていくらくらいなんだろう? と、思ったら、1,000円くらいで買えるの見つかったのよ。「あ、1,000円くらいなら買ってみるか」って買ったのよ。で、こないだジャパンモビリティーに行く朝に、「そうだ、これ使おう」って蓋開けようとしたら、開かないのよ。「あ、不良品だ」って思って、それでもボタン押しまくったりして、そんでもだめで、あ、説明書って読んだら、上のロックをスライドってある。そしておれは、「ボタンを押す→スライドを上げる」という手順で開いて、「ああ、開いた」って思ってね。でもね、開き方が不自然なんで、安いからかなと思って。でもね、あらためて説明書読んだら、先にスライドでロック解除、で、ボタンの順だった。なんと自然に、パカーンと開くことか。二度も正解にたどり着けなかった。あ、断熱性能はよかった。家に帰ってもまだ中身が冷たかった。もっと早くに買っておけばよかった。

 

以上。