シャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ、オハイオ』を読む

 

 

シャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ、オハイオ』を読んだ。

 

シャーウッド・アンダーソン - Wikipedia

 

シャーウッド・アンダーソンは1876年にオハイオで生まれた。1919年に連作短編集『ワインズバーグ、オハイオ』を書いた。1941年に死んだ。

おれがシャーウッド・アンダーソンを知ったのは……なんだっけ? よく覚えていない。このところおれが一番気になっていたのはクヌート・ハムスンだ。ほんとうにどこからだろう? ハムスンと同じように、ブコウスキーの書簡集に名前があったのだろうか。

 

まあいい、おれは『ワインズバーグ、オハイオ』を読んだ。とはいえ、半分だ。後ろ半分だけ『ワインズバーグ、オハイオ』だ。前半は『ワインズバーグ・オハイオ』を読んだ。

 

 

訳が違う。この両方が読めることはなんとなくわかっていたが、先に手に取ったのが『ワインズバーグ・オハイオ』だった。べつに翻訳に不満があるわけではなかった。なかったけれど、「『ワンズバーグ・オハイオ』より『ワインズバーグ、オハイオ』のほうがいいよな」と思い始めた。あくまえ「・」と「、」の違いに過ぎない。過ぎないのだが、「、」のほうが新しい訳だし、そっちが気になってしかたなくなった。

 

そしておれは、途中から「、」に乗り換えた。

 

とはいえ、べつの翻訳というのも気になって、冒頭を読んでみた。読んでみて「おや?」と思った。「グロテスクな人々についての本」という題だったのが、「いびつな者たちの書」になっている。

 

 人々をいびつにしたのは真理であり、老人はこの件に関して精緻な理論を作り上げていた。人々の一人が真理の一つを掴み取り、自分の真理と呼んで、それに従って生きようとすると、その人物はいびつになる。そして、彼が抱いた真理は偽物になる。これが作家の考えだった。

 

「・」では、「いびつ」をグロテスクと訳していた。訳すというか、Grotesqueそのままというか。グロテスク、でいいんじゃないか。おれはちょっとそれが気になった。が、それについて訳者あとがきで言及があった。

 

何種類かの優れた訳がすでにあるだけに、それに影響されないよう、旧訳をまったく参照せずにすべて訳し、日本映画の字幕製作者であるイアン・マクドゥーガル氏と質疑応答を繰り返して、訳の正確さを高めていった。その対話のなかで、アンダーソンのgrotesqueは日本で言う「グロテスク」とはちょっと違うのではないかという話も出た。「恐ろしくて醜怪」というだけでなく、「滑稽」で「愛おしい」ものさえ含む「グロテスク」。これにあてはまる訳語として、ここでは「いびつな」を使ってみた。

 

さてどうだろうか。おれにはよくわからない。「いびつ」のなかに「滑稽」と「愛おしい」があるのか。むしろ、カタカナ語「グロテスク」のほうにそれがあるような気がしてならなかった。おれの感覚ではカタカナ語「グロテスク」のほうが、このワインズバーグの町の普通に生きていて、生きているからこそグロテスクな面もある、ちょっと奇妙でリアルな、そして孤独を抱えた人たちに合っているような気がする。まあ好き嫌いだが。

 

ああ、『ワインズバーグ、オハイオ』はどんな話か。

オハイオ州の架空の町ワインズバーグ。そこは発展から取り残された寂しき人々が暮らすうらぶれた町。地元紙の若き記者ジョージ・ウィラードのもとには、住人の奇妙な噂話が次々と寄せられる。僕はこのままこの町にいていいのだろうか…。両大戦に翻弄された「失われた世代」の登場を先取りし、トウェイン的土着文学から脱却、ヘミングウェイらモダニズム文学への道を拓いた先駆的傑作。

 

こんな話だ。正直、おれは日本の文学でも、海外の文学でもだれもが読んでいるような王道を知らないことが多い。マーク・トウェインも、ヘミングウェイもフォークナーもあまり知らない。ただ、アンダーソンの後継者の一人だと言及されているレイモンド・カーヴァーは読んだ。なるほど、カーヴァーの短編の向こうにアンダーソンがいるかもしれないというのはわかるような気がする。

 

さらに、解説の川本三郎は佐藤泰志の『海炭市叙景』を挙げている。なるほど、架空の町に生きる人々の日々を描いた、連作短編集。おれは佐藤泰志も読んだので、おれの趣味はどこかでつながっている。悪くない。

 

それにしてもなんだろうか、なんとも奇妙な味わいがある『ワインズバーグ、オハイオ』。フロイトの影響もあるというが、人々は「性」にもとらわれているし、「神」にもとらわれている。時代の移り変わるところ、あるいは都会と隔てられた田舎であるところ。そこになんだろう、なんらかの混沌が生じている。アノミーといっていいのかわからない。

 

ただ、一方で、「昔の人の心理だな」みたいにも読めない。先駆的と言われるだけのことはある。いや、あるいは普遍的なのか。現代でも変わらない、人間心理の、行動の持つ不可解さを鮮やかといっていいように切り出している。切れがある。その人物はそれこそグロテスクなのかもしれないが、その描かれっぷりに鋭さがある。ぜんぜんネチネチしていない。それこそ、カーヴァーに似た乾いた感じすらある。

 

 店では、巡回セールスマンの唇から慌ただしく出て来る言葉をエベニザー・カウリーがじっと立って聞いていた。カウリーは痩せて背が高く、不潔な印象を与える男だった。骨ばった首に大きなこぶがあり、その一部は白髪交じりの鬚に隠れている。長いダブルのフロックコートを着ていたが、これは結婚式での礼服として買ったものだ。証人になる前、エベニザーは農民で、結婚したあと、このフロックコートを着て日曜日に教会に行くようになった。土曜の午後、農産物を売るために町に出るときもそれを着た。農場を売り、商人になってからは、このコートを常に着るようになった。年月を経て茶色くなり、油染みがあちこちについたが、エベニザーはこれを着ると正装した気分になり、町での一日に備えられるように感じるのである。

「「変人」」

 

そしてどうだろうか、この人物の描写。べつにエベニザーは重要な人物でもない(短編の主役でもない)が、なんとなく記憶に残ったので引用しておきたくなった。

 

あと、競馬趣味者として、気になったところ。

 

 シルベスター・ウェストのドラッグストアには四人の男がいて、競馬の話をしていた。ウェズリー・モイヤーの雄馬、トニー・ティップがオハイオ州ティフィンの六月のレースに出ることになっていたのだが、この馬のキャリアで最も厳しいレースになりそうだという噂があった。ポップ・ギアーズという偉大な騎手[実在したテネシー生まれの騎手。一八五一~一九二四]が出場するというのである。トニー・ティップが勝てそうもないという予想がどんよりとワインズバーグの空気に漂っていた。

「アイデアに溢れた人」

 

ポップ・ギアースの情報はありがたいが、翻訳者も協力者も競馬を知らないのだろうとわかってしまう。「雄馬」はできれば「牡馬」にしたほうがよい。そして、馬の名前は「トニーティップ」だ。現代日本競馬のルールでは、外国馬であっても中黒は入れない。トニービンはトニービンだし、ベニーザディップはベニーザディップなのだ。文学に競馬のルールを持ち込む必要はないかもしれないし、おれが知らない分野について似たようなことがあっても気づかないに違いない。でも、気づいてしまうやつはいるのだ。

 

でも、ありがたかったこともある。「・」の方ではわからなかったことに、訳注がついていた。

 

トニー・ティップはクリーヴランドで行われた秋の競馬に出場し、二分十五秒のレース[当時は馬が一マイル何秒で走れるかでランキングをつけ、同じランクの馬に競走させた。一マイル二分十五秒=時速四十二キロは、当時の基準ではかなり速かった]で優勝したのである。

「手」

 

 

二分十五秒のレースとは、クラス分けであったか。というか、ここまで調べているなら、競馬のことを目にしなかったわけでもあるまい。となると「・」はわざとつけたのだろうか。わからない。

 

しかし、マイル(1600m)で2分15秒。時代が違えばそういうこともあるのか? だいたい、血統でいえばどのくらいの時代なんだろう。ポップ・ギアースの生没年からすると……。

 

と、ポップ・ギアースのWikipedia記事を見つけた。

Edward Geers - Wikipedia

生没年からこの人で間違いない。……って、「harness racer」。繋駕速歩競走やないですか。

ja.wikipedia.org

サラブレッドの歴史を遡ったところでギアースの名前なんて出てこなかった。いやはや、何事も調べてみるべきだ。

スタンダードブレッド - Wikipedia

スタンダードブレッドの成立は19世紀まで遡る。同じく北米で成立したクォーターホース等と同じくアメリカ開拓期にヨーロッパから連れてきたサラブレッドに、アラブやカナディアンペーサーやノーフォークトロッター、モルガン等を交配し改良を重ね作られた。スタンダードブレッドという言葉が初めて使われたのは1879年。この品種として認められるためには1マイル(約1600m)において2分30秒という基準(スタンダード)に達しなければならなかったためと言うのが語源である。

なるほど、2分30秒が基準だとすれば、2分15秒は「かなり速い」ということか。勉強になった。

 

……すみません、話が飛びました。みんな『ワインズバーグ・オハイオ』でも、『ワインズバーグ、オハイオ』でも好きな方を読もう! それじゃ!