おれはパリオリンピックを見るためにリガの港からナーンタリに向かう漁船に乗り込んだ。船が港を離れたあと、「ニュネスハムンに寄ってくれないか?」と船長に言うと、「魚のことか? 料金さえ払えば行くさ」とこたえる。ニュネスハムンからいったんストックホルムに北上したあとは、ひたすら南下してパリを目指した。オリンピックというのはいつも一ヶ月くらいやっているものだと思いがちだ。じっさいはそんなに長くはない。かといって五日で終わるほど短くもない。とはいえ、おれの旅路は長すぎた。ヘルシングボリで渡し船を待っている間に開幕式のニュースを見た。気落ちしたおれは帰りの電車でアクアビットを飲みすぎて寝込んでしまい、気づいたら国府津にいた。湘南新宿ラインはいつもこうだ。まだ三浦半島に流れたほうが帰りやすいというのに。
伝え聞くところによると日本は健闘したそうだ。我が祖国に栄光あれ。おれは半分眠りながら柔道の団体戦を見ていた。階級の軽い選手が重い選手を投げる。柔道の醍醐味だ。しかし、あのルーレットはなんなんだ。フランスに厄災あれ。
スケートボードを見たから110番しようかと思ったが思いとどまった。スケートボードのトリックは一瞬で派手さもない。冬のなんとかいう競技のほうが見栄えはする。しかし、その一瞬に侘び寂びを見るのがスケートボードなのだろう。野暮な人間にはわからない。
そもそもおれは採点競技を見るのが苦手だ。採点が恣意的に見えるからか? むしろ違うような気もする。採点基準がはっきりしていて、そこからの減点方式に見えるからだ。体操など着地の瞬間までいやな緊張感がある。相手を倒すとか、多く点を取るとか、あるいは記録を伸ばすとか、前向きな方が見ていて楽しめる。
競走というものは相手を倒すのと記録への挑戦という二つの点を兼ね備えているから、とくに楽しい。おまけにわかりやすい。ただ、短距離走はわかりやすすぎるところはある。長距離のほうが駆け引きなどあって楽しい。マラソンの日本勢は男女ともに好成績を出した選手がいた。素人なのでよくわからないが、平坦のスピードレースよりも、今回のパリのようなやたら暑くて、しかも難コースのような条件で強豪国に食い込む余地があるのかもしれない。しかし、男女ともに優勝者はオリンピックレコードを出していた。よくわからない。
レースの駆け引きという点では自転車競技にまさるものはないかもしれない。ケイリンなどもラインまで取り入れてしまえばいい。旧ソ連邦の五車連携戦などもあるかもしれない。「日独伊の三番手で」とか選手のコメントがケイリン新聞に載るのもいいだろう。
日本の馬術もバロン西以来のメダルをとったらしい。JRAに毎週末貢献しているおれもうれしいが、正直なところ馬術のことはよくわからない。流鏑馬などオリンピック競技にしてもいいかと思うが、さてどうだろうか。馬に乗って弓を射るという行為ならばやっていた国も少なくなかろう。ルールがどうなるかわからないが、モンゴルなどが強ければそれもおもしろい。騎馬戦などあってもいいだろう。本当の馬を使って。本当の馬を使わない騎馬戦をガチガチのアスリートがたちがやるのもいいだろう。
いずれにせよ、宴は終わった。たまに宴があるくらいいいだろう。ただ、株が大暴落したときは、株のニュースをトップにしろよとは思った。ただ、おれは自分の株式口座にアクセスしていない。今が買いかもしれないし、落ちてきたナイフかもしれない。しかし、落ちてきたナイフの柄の部分をつかめば問題ない。そこからは忍者の時間だ。即座に一人、二人と敵を葬る。トルコの「無課金おじさん」が日本で人気になっているのに対して、海外の反応で「日本人は強くなさそうなのに強いキャラが好きだ」といっていたが、そういうところはある。しかし、それはあるていど世界共通ではないかと思うがどうだろう。
おれの最大の失敗は、物議をかもした開会式を録画もしておらず、その後のニュースもぜんぜん見ていないことだ。物議をかもすものは見ておきたい。ちなみに、ロックを愛する女の人は「最高だった」と言っていた。最高だったのかもしれない。時は遡らない。パリもロサンゼルスも国府津からは遠い。