『イジらないで、長瀞さん』の終わりに

 

 

『イジらないで、長瀞さん』が20巻をもって完結した。数巻前から終わりそうな雰囲気はあったが、ここで終わった。最後は駆け足のようにも見えたが、もうそうなったら駆け足でいいでしょうという感じがした。一方で、単行本のおまけ漫画には「さらに先が気になる」という気にさせられた。

 

おれは基本的にラブコメが苦手だ。興味がないといっていい。だが、『長瀞さん』は別だ。とくべつに「長瀞さん」のキャラが刺さったのだろう。ストーリー的には日常的なところから、美大合格を目指すセンパイと離れていた柔道に打ち込む長瀞さんの話へと、やや方向が変わったかというところもあった。あったけれど、本線のところで変わらなかった。それはなにかといえば、長瀞さんとセンパイであり、センパイと長瀞さんなのである。ここの関係がぶれてなかった。それがよかった。デレる時間が増えていっても長瀞さんはかわいくなる一方だし、センパイも一歩ずつ成長していった。お互いが刺激し合える関係っていいよね、とか遠い目をしてしまう。

 

4年前の作者のインタビューなど読んでみよう。

pocket.shonenmagazine.com

――作品に何かメッセージを込めていたりしますか?

 

ナナシ先生:
いやぁ、ないんですよ。そこまで深いことを考えたこともないし、メッセージを考えた事自体なくて。

ただ、自分が好きなものを形にしただけ。長瀞さんって、そういうキャラクターだし、そういう作品なんです。

さっき言われた通りですけど、自分のフェチ全開なんですよね。だから、誰も彼もが好きになるようなキャラではないと思っています。好きな人は好き、合わない人は合わない、万人受けはしなくて当たり前。

 

「もしかしたら、自分と同じ感性の人がいたら、好きになってくれるかも?」くらいの気持ちで描いています。

 

いやあ、作者の感性というか、フェチに合ってしまったということだな。しかし、万人受けはしなくても、アニメ化もされてかなりの人間に受けたのだろう。それこそ、アニメを通じて海外受けもしたという。全世界のMよ立ち上がれ。

 

そして、この発言がいいよな。

 

――お気に入りのサブキャラはいますか?

 

ナナシ先生:
んー、みんな好きですけど、でもこの漫画は長瀞さんがすべてなんで。

 

どのキャラも長瀞さんを支えるために存在しているので、長瀞さん以外に特別なキャラクターはいない、というのが本音です。

 

これが結局、たぶん、最後までぶれていない。おれはそこがよいと思った。

 

というわけで、長瀞さんが存在する以上は作品は続けられるともいえる。いえるが、まあしかし、付き合うところまでいったら、これはこれでスパッと終わらせるのがよかったのだろう。

 

楽しい漫画をありがとうございました。

 

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……しかしなんだね、まあ久しぶりに紙の漫画単行本を揃えてしまった。おれは特等に好きな作品は紙の単行本を買いたくなる。ほかに現在進行中で買っているのは……『天国大魔境』と『木曜日のフルット』、そして『ヒストリエ』ということになる。

 

『長瀞さん』は終わったが、はたして『ヒストリエ』に終わりは訪れるのだろうか……。