ラブコメは苦手だけど、『イジらないで長瀞さん』が大好きなこと

 

 

おれは、『イジらないで長瀞さん』が大好きである。アニメから入って原作漫画に手を出し、飽きるところを知らない。アニメの第二期も決まって、たいへんに喜んでいる。

 

え、長瀞さんの声の上坂すみれが好きなだけでしょ? という声も聞こえてきそうである。その声、約一人くらい。でも、そうではないのである。『イジらないで長瀞さん』はそれ以外でもすばらしい作品なのである。

 

などと、なにやら力が入ってしまうのは、おれが「ラブコメ」と呼ばれるジャンルに、本来あまり興味を抱かないからである。おれはわりと何事にも雑食という傾向がある。しかし、食べものについても、「苦手かもしれない」というものがある。ゴーヤやらっきょうである。雑食と言いつつ、避けている。

 

というわけで、おれは「ラブコメ」というものを知らない間に避けていた。これは、10年くらい深夜アニメを全作近くチェックして、選り好みして、その結果から導き出された結論である。ちなみに、おれがあまり興味を抱かないほかのジャンルは「ホラー」である。怖いのが苦手というより、なにが面白いのかよくわからない。そりゃ、「サメ映画」についても言えるかもしれないが。

 

して、『長瀞さん』は何が違うのか。おれにはうまく説明できない。いや、「おまえがドSだからだろ」と言われたら、「そのとおりです」と答えるしかないかもしれない。それだけのことかもしれない。長瀞さんというキャラの魅力にやられているだけかもしれない。

 

まあ、それでもいいか。なにかこう、ハーレムものとされるやつには、なんか面白みを感じない。ラブなら、一直線だろというところがある。たくさんヒロインがいて、誰を選ぶみたいなところがあったら、それはむしろゲームで、自分が選びたいと思うようなところ。漫画やアニメということになれば、主人公には迷いつつも一つの結論にいたってほしいという思いはある。

 

そういう意味で、あれだな、『Re:ゼロ』にはすごく遅れてドはまりしたけれど、「なんでレムを選ばないの!」という血のような叫びを吐きつつも(そこまでか?)、主人公がエミリアを選ぶならそれはそういうものなのだ、という納得もあった。

 

というわけで、『長瀞さん』は初手からもう長瀞さん一筋であって、そこのところに納得していく過程、というのも描かれていて、そのあたりも面白く、いや、そろそろ終わりも見えてきたかというとこもあるけれど、スカッと終わってほしいという思いもある。べつに恋のライバルキャラが出てきているわけでもないし、サクッと行ってほしいと思うばかりである。

 

で、14巻については、66~68ページとか、171ページとかの表情とか、当たり前のところがやっぱりいいなあと思いました。あとは、妄想の中の2年後の長瀞さんとかいいですよね。この、妄想の中の2年後とか、恋愛シミュレーションゲームのバッドエンドみたいなところもあって、そこんところもいいですよね。あれ、やっぱりおれ、ドSですかね? 以上。