さて、帰るか。あるいは「20万円でも人は死ぬ」補遺

寄稿いたしました。

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実録、四十代半ばの転落人生ものでございます。そこそこ注目されてしまったので、珍しく反応などを薄目で見て、補足情報を出しておきます。

 

会社について

会社についてなんですが、労基に行こうとか、なんとか保険とか、そもそも転職しろというのはごもっともなんです。そりゃあ、そうです。でも、なんというのか、もうそういうドライな感じはなくて。なにせ二十年以上いるもので。そりゃ親会社がつくまえも、今と似たような情況だったりして、そんな時代が長くても、なんかそれでも残っている、「先月は仕事少なかったから、まあ給料でなくても仕方ないか」という人間で構成されていて。まあなんというか、文字通りの家庭内手工業? 手工業ではないか。手工業ではないけど、家族みたいになっちゃってんで、今さらなんですよね。ただもう、おれが一番若いのが二十年以上続いていて、どう考えても年齢的に「あと三年はがんばろうか」みたいな空気なので、そのあとおれがどうなるのかはまた問題なんですが。

 

そう、転職とかについてだけど、これはもうおれの能力的に無理。双極性障害(躁鬱病)の手帳持ちで、朝、急に、LINEで「すみません、遅れます」とか打つだけで昼過ぎとか午後三時に出社するとか、これが何日も続いても、べつにそれが理由で給料下がらんとか普通ないでしょ。まあもうそれがおれの特性というか素性というか、そこんところが理解されているので、いまさらそんなところ探すの無理でしょ。その他の欠点だってあるし、急に寝込むから対外的な仕事がやりにくいとか、電話が苦手とか(三つのピアスが邪魔)、そういうのも見逃してもらってるし。

 

まあそんな居心地のよい環境下ではてなブックマークやりながらだらだらと過ごしてきたので、スキルみたいなものもたいしたものはないし、まじどうしたらいいんですかね?

 

まあしかし、なによりもう、おれの性質として、環境が変わるのが耐えられない。これが一番大きい。上の条件ぜんぶオーケーで給料も二倍だしカレーもおかわりしていいぞ、となっても、ちょっと嫌だなあと思ってしまう。とにかく環境が変わるのが嫌いで、進学どころか進級、クラス替え、そういうレベルで子供心に無理だったものが、大人になっても延々とつづいている。しかし、おれも年をとるし、まわりも年をとる。嫌でも環境は変わっていく。対応ができない。いやはや。

 

お金について

お金については直接的ではないけど具体的に上の記事にも書いてあって、そのくらいはあります。だから、今月もたぶん給料出ないですが、死にはしないです。それでも、はじめて証券会社の口座から出金してみようとして、やりかたがわからなくなってぐったりしています(わからないというより出金せざるをえない事態に)。それとはべつに、援助もありますので(ありがとう)、まあ何ヶ月かは給料なしでも生きられる可能性はあります。

 

文章の換金化について

これは反応で見かけて意外に思ったというか、「そういうのもあるのか」と思ったんですが、考えてみたらはてなブログにも有料記事化する方法とかありましたね。あとは、AmazonのKindleでどうこうとか、まあnoteでなんかやってもいい……めんどくさい。もとからめんどうくさがりなんですが、とくに今はめんどうくさい。そもそも、朝起きることが困難な人間にはなにか考えることすら困難だ。おれは世にも珍しい「人にすばらしい同人誌を作ってもらったことのある」人間なんですが、なんかだれか勝手におれの日記を編集して売りさばいて、おれにお金くれないですかね? 構成はしないけど校正くらいならします。

 

Macについて

これも反応を見ていて気づいたんですが、「べつに中古でもよくね?」というご意見。これね、ほんとうにあれなんですけど、「Macが壊れた→新しいMacを買わなきゃ」という思考で頭がロックしていて、M-1 iMacが十二分すぎる環境なんで、ちょっと購入を考えます。あと、Mac miniでもDTPやるのに能力は十分なんですけど、モニタはやっぱりRetinaディスプレイがいいとか……贅沢ですかね。けど、モニタ買わなきゃいかんし。まあしかし、Windowsノートパソコンに環境を移して一週間くらい経ったら、今度は新しい(新品という意味ではない)Macでいろいろ設定するの面倒くさいな、と思ってしまったり。けど、中古ありだよな。なんで思いつかなかったんだろう。

 

お恵みについて

お恵みいただいております。

 

やはり食べ物はありがたいです。食うのが大切です。ただ、いただいておいて言うのはなんですが、これから先、カップ焼きそば(ごつ盛り)はちょっと控えていただけるとありがたく。これはもう単純に場所的な問題で、でかいのです。でかいから持って帰りにくいし、置き場がないのです。せっかくお恵みいただいておいて、なんだ、と言われそうですが、すみません。

 

あと、スコッチとかぜんぜん贈ってくださってかまいませんよ?

goldhead.hatenablog.com

 

で、死ぬの? 死なないの?

で、結局これが問題になるわけです。どうなんでしょう。「20万足りなくて死ぬってあるな」と、死が急速に、やけにあっさりとおれを襲ったのはたしかです。その衝撃があって上の記事を書きました。

 

体調は悪いです。抑うつがきつい。日中変動で朝ダメでも午後になって徐々に良化していくみたいなのもあったりするんですが、ここのところは一日中ダメ。朝から自転車がろくに漕げない。すごくゆっくり自転車こいでいるおじいさんとかいるじゃないですか。「あれ、なんでこけないんだろう?」くらいの。ああいうイメージでひいひい言ってる。これが、帰りにもそうなっている。頭には靄がかかっていて、正直、なにもできない。どうにか、最低限、シャワー浴びて、湯豆腐作ることくらいはできる。けっこうできる? でも、それ以外の、人間の生活に必要なものが皆殺しになっていると考えていただいてけっこうです。

 

はあ。……と、ため息をつきました。はい、いま、幸せが逃げました。孔雀も死にました。しかし、もう呼吸がため息みたいになっている感じで。それで、もうなにもしたくない。ベッドで横になって、なにも見ない、なにも聞かない、ここから動きたくない、そういう感じです。少しの元気がないと自殺もできないというのは、たぶん本当です。そのくらいまいってしまっている。

 

まいっているのに饒舌じゃないかと言われたら、これは長年の鍛錬によるもので、こんなん頭でなにか考えているわけじゃない。手癖だ。手癖で書いている。悪いね、手癖だよ。AIに書かせているのとたいして変わらない。それでも心配してくれるならうれしいし、「こいつ、会社どうなんのかな? 死ぬのかな?」と興味をもってくれるのもうれしい。

 

まあ、今日明日死ぬこともないでしょう。でも、なにがおきるかはわからんよ。命は予告なく刈り取られる。そして、数ヶ月単位となると、これはもうちょっと「死ぬこともないでしょう」なんて言えん。おれが来年の一月一日に「年頭所感」を書いている確率はどのくらいあるのか。考えるだけでうんざりする。

 

ただ、こうやって、際限のない話をだらだらだらだら、世界に向かって書きつづけているのは、たとえ手癖でやっていても悪くはない。悪くはないけど、それで食っていけないのがよくない。「なぜなぜ分析」を五回繰り返すと「自分が生まれてきたのが悪かったのです」と結論が出るというが、おれの場合はこのしょうもない情況について一回目に答えそうだ。そんなところだ。いったいぜんたい、なにが間違いだったのか。子供のころろくに友人関係を持続しようとしなかったことでも、大学を中退したことでも、そんなことは大したことじゃない。それでも、若い日になにかしていれば、こうはならなかったのかもしれない。運が悪い。

 

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。

苦しみの日々が来ないうちに。

「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。

太陽が闇に変わらないうちに。

月や星の光がうせないうちに。

雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。

「コヘレトの言葉」