『世界の涯の物語』ロード・ダンセイニ

世界の涯の物語 (河出文庫)

 この世には、トン・トン・タラップの砦に構えられた小さな門の前に腰を下ろし、一人ぶつぶつと昔話をしている老門番しか知るもののない話というものが存在している。―「老門番の話」

 この本の作者であるロード・ダンセイニは、老門番ならぬ城主である。本名をエドワード・ジョン・モートン・ドラックス・プランケットといい、十二歳で男爵を継承した、ダンセイニ城十八代目の当主なのだ。あらためてこんなことから書くのは、私がダンセイニのことをよく知らなかったからである。名前は見たことがある。それは、澁澤龍彦の本の中に、あるいは澁澤の‘魔道の先達’稲垣足穂の本の中に。
 そう、稲垣足穂だ。私は稲垣足穂が大好きだ。星と少年とロバチェフスキー空間、タルホの世界が大好きだ。そして、そのタルホに多大な影響を与えたのがダンセイニなのだ。俺は時間を潰すために入った本屋で、たまたまダンセイニの文庫を手に取り、その中身をちらりと眺めてそこにタルホと同じ物を感じたのである。いや、もちろん著者紹介のところにその名が記されているのも見たのだけれど。
 というわけで、ここ数日、この本の短篇を一つ一つ味わうように読んでいたのである。だからここ数日の日記の見出しがおかしくなっている。上に挙げた「老門番の話」は短いが、「宝石屋サンゴブリンド、並びに彼を見舞った凶運にまつわる悲惨な物語」「偶像崇拝者ポンボの身の程知らずな願い」「なぜ牛乳屋(ミルクマン)は夜明けに気づいたときに戦慄(おのの)き震えたのか」……などなど。どれもタイトルだけでイメージが広がるようである。
 イメージといえば、ダンセイニの用いる架空の地名、人名である。これがどれもこれもさまざまなイメージを喚起させ、私を‘世界の涯’へと運ぶのだ。私の見識の無さゆえに、どれに出典があり、どれが彼のオリジナルなのか判じえないけれど、そんなことはどうでもいいだろう。例えばこの本の冒頭にある「ケンタウロスの花嫁」。「ケンタウロスのシュパラルク」、「父のジャイシャク」、「ヴァルパ・ニジェール」の高台、「めざすはズレタズウラ、ソンベレーネの都である」……、などと来ては、めざさないわけにはいかないじゃないですか、と。
 それらは、いわゆる「ファンタジーの世界」である。この文庫が出るきっかけも『ハリー・ポッター』ブームや、『ロード・オブ・ザ・リング』(『指輪物語』)の映画化などが影響しているらしい。しかし、私はどうも毛色が違うような気がしてならないのだ。いや、私は後者について原作も映画も一切知らないのだから、同じとも違うとも言えない。単なる印象である。ダンセイニにはファンタジーという響きよりも、タルホの言うとおり、「真に男性的な文学」という表現がよく似合うと思うのだ。
 ここらあたり、稲垣足穂の作品集『星の都』(ASIN:4838702507)に收録された、「英吉利文学に就て」にも興味深い話があった。

由来海賊の子孫である英吉利人は冒険家で、それも恋だの道楽だのいう題目に就てではない、即ち遠い海洋で働いているような冒険家で、これは商人的あるとも、又軍人的であると言い換えてもよいが(以下略)

この作者ダンセイニに就ては、私はこの人物の山師のような所、それでいて彼は貴族であって又サハラで大そう苦労した軍人であって……そんな所が大好きである。

 私はこれを読んで、あるイギリス人作家を思いだした。ロアルド・ダールである。「サハラで」なんてのはそのまま当てはまる話だ。なるほど、イギリス的な何かがそこにあり、‘男の世界’がそこにある。いや、なにか‘男の世界’と書くとハードボイルド的だが、この言葉から真っ先に思い浮かぶルパン三世的な感じでもいい。あるいは、ダールの短篇にある飛行機墓場の話を映像化した、宮崎駿の『紅の豚』の感じ。あ、そういえば、あの飛行機墓場のテイストは、この文庫本に収められた「海の秘密」に近いものがあるな。宮崎駿は『ハウルの動く城』の次は、この本の「陸と海の物語」あたりを映像化してほしいな。きっとピッタリだ。あと、日本で似たような感じといえば、松本零士だろう。『ザ・コクピット』に収められていた、スコッチでメッサーシュミットを飛ばす話など、まさにダンセイニ/ダール的なホラ話と言えよう。
 さて、なんかとりとめが無くなってきた。そろそろやめよう。ところで、上の「英吉利文学に就て」は、『世界の涯の物語』の訳者あとがきで触れられている。私は文庫の半分あたりで、押し入れの中から『星の都』を引っ張り出してきていたので、あとがきに辿り着いたとき、ちょっと驚いたものである。そして、そのあとがきでは、ダンセイニを広めた先人として荒俣宏の名が挙げられており、『星の都』の方のあとがきは荒俣宏がダンセイニの話をしているのだ。茫漠の人の世を離れ、黄昏の荒野を走り、あやしの森を潜り抜けて辿り着く世界の涯も、案外狭いということなのか。(さらに荒俣について何か書こうとしたが、長くなりすぎたのでやめる)