『義経』の感想

 馬がたくさん出てきた、というのが第一の感想だ。有名な一谷の合戦のスタートは、戸山為夫もびっくりの逆坂路調教である。CGでも使うのかと思いきや、ドカドカと本当に降っているのだから驚いた。正直、スピード感の無さから奇襲という感じではなかった。なかったのだが、「おお、大河ドラマ!」という気持ちになったのである。「印象に残る大河ドラマは?」と問われれば、「去年の『新選組!』」としか答えられない俺がである。もちろん、それ以前にも親に付き合ったりしてそれなりに見てきたのだ。見てきたのだが、特に印象が無いのだ。それなのに、ちょっと金かかってそうな合戦を見て大河だと思った。これはもう、本格大河路線復活、という意気込みに違いあるまい。その証拠に、沖に浮かぶ船、鈍色の雲、死屍累々の浜辺……まさに『プライベート・ライアン』のオマハ・ビーチのごとき戦場描写じゃないですか。
 さて、また馬の話をする。今度のオープニングは芦毛の馬がカラ馬で走るイメージだ。「まだ太め残りで、二、三回叩いてからだね」と言われそうな馬体の馬である。もっとも、「芦毛」などと書いてしまったけれど、あの面構えはサラブレッドくさくないので、わざわざサラの毛色分類をする必要もないのかもしれない。ならば、「白馬」でいいのかもしれない。ところで、サラで白馬といえばハクホウクンを思い出す。大井名物になっていた白毛馬である。よく俺が競馬場へ行くと出てきたものだ。……というのも、人の集まる大レースの日を選んで出走させていただけかもしれない。そして、昨年末に行った東京大賞典。雪の中にやけに白い芦毛がいると思ったら、なんと白毛馬であった。名はホワイトペガサスという、いかにもな名前。白毛馬の珍しさは変わっていないはずなのに、なぜホワイトペガサスはアピールされないのか。
 なぜ馬の話を長々としたのか。合戦シーンが終わったからである。今どきの若者の悪い癖である。黙って人の話を聞けない。暴力表現を好む。まさに学級崩壊である。……む、ここで気づいた。俺はこのドラマを教科書のような目で眺めていた。幕末物であれば筋など承知の上と演技・演出に集中できよう。ところが、この時代のここらあたりの詳細などさっぱりわからないからだ。だから逆に、こうしてパシパシとキーを叩きながら、セリフだけ聞いて流れをチェックすればいい、ということになってしまう。
 などと書いておきながら、画面から目が離せなくなった。率直に書くならば、寝取られ話になったからである。私のような異常者、いや、練達の者になると、常盤御前六波羅様の前に出て顔を上げた瞬間に、寝取られの匂いを感じ取るのである。「何がどう寝取られなの?」という人もいるだろう。無論、死んだ源義朝視線である。かつてのともがらとの戦に敗れ、愛する人を妾にされるのだ。これはもう、いい寝取られ話じゃないですか。そして、こうなると稲森いずみが実にいい女に見えるのだ。いや、世間的にはいい女なのだろうけど、俺はどうも顔が苦手だった。ところがこうなると、幼い我が子の為に身を挺して憎い仇に抱かれる、辛い立場のいい女である。少し疲れ気味の顔が実にいいじゃないですか、と。
 というあたりで、今回は終わり。実に個人的な盛り上がりは感じたのだけれど、一般的にはどうだろう。掴みであるところの合戦シーンをもうちょいやっても良かったのでは、などとおせっかいに思ってしまったのだが。しかし、勝手な予感ながらこの『義経』、去年の大河より数字的にいい線行くんじゃないかね。あくまで予感なのだけれど。