鑑真が来た!

 昨夜のNHKその時歴史が動いた』のテーマは鑑真。このところ空海づいているところがなければ、見ようという気は一切起こらなかったであろう。そして、この番組を俺は食い入るように見た。自分でも滑稽なほどに。俺ももう歳なのか、いやはや。しかし、いろいろの疑問などもあってネットすら調べもせず、つらつらと書き飛ばす。かいて飛ばすのは若者の特権である。いや、飛ぶ飛ばないは若さと言うより、口径のサイズの問題だと言うが。俺が小口径か大口径か、あるいはその砲身長は、ということについては閨房以外では秘する。ちなみに小見出しの「鑑真が来た!」は山田風太郎の『ラスプーチンが来た!』(傑作!)のもじりだが、そのラスプーチンの一物ときたら、我が国が誇る怪僧・道鏡と同じく……、これはいったい何の話か、なかなか歴史が動かない。動かそう。
 さて、番組による鑑真の紹介。まずは有名な五度の渡航失敗。鑑真はどうして日本にそんなに来たかったのか。あまり番組では触れていなかったか。仏教はインドで生まれた。高度に哲学化した仏教は次第に民からの支持を得られなくなった。大乗が誕生しても、西の方からくるイスラムの影響も大きかった。残ったものは左道化した。そして仏教が逃れたのは中国である。三蔵法師が経典を持ち帰るのはそういうことなのだ。インドが三蔵法師玄奘ほどの人間を中国に送り返したのは、一種の延命といってもいいかもしれない。しかし、その中国、「鬼神を相手にせず」の儒教の国だ。おまけに道教なんてライバルもいる。仏教の根付く国ではない。従って、次なる国が必要だ。そう、東の果て日本。……という大きな動きがあった、というのが俺の乏しい理解だ。鑑真もその使命を感じたのではないか。ちなみに、イスラム教があって西にはいまいち広がれなかったわけだが、松岡正剛『花鳥風月の科学』には次のような話が。

 (イスラム圏が出現しなかったら)キリスト教と仏教が正面衝突を起こし、クリスチャン・ブッディズムのようなものを生んでいたかもしれません。なぜなら、宗教としての仏教ではなく、文芸としての仏教なら、アラビア世界の『千夜一夜物語』にも、またヨーロッパの多くの説話や民話にも、たくさんの仏教的素材を混入させていることが認められるからです。ヨーロッパの聖者伝説にブッダの話が採りこまれていることについては、原田実さんの『黄金伝説と仏陀伝』がいろいろ興味深い証拠をあげています。

 『黄金伝説と仏陀伝』ASIN:4409410547、いちおうメモしておこう。まあ、そんなんで鑑真が来たと。来て、税逃れのニセ坊主が横行する日本に戒律を持ち込んだと。これで坊主の数が減って朝廷一安心。しかし、鑑真はバリバリ僧を集めて布教を行う。そりゃ話が違うと、朝廷は鑑真を罷免する。ここらあたり、ロッテの改革にやってきたが、わずか一年でフロント対立して監督を辞めさせられた第一期のボビー・バレンタインの姿そのものである。しかし、ボビーが帰って来たように、鑑真もあきらめない。私立大学ともいえる唐招提寺を建立して、その教えを終生広めた、と。この罷免話のあたりなど、ウィキペディアなどの説明と食い違い、あるいは一説なのやもしれぬ。そのあたりはわからない。ところで、唐招提寺についても、漠然と「唐から招いた僧侶の寺」みたいな意味かと思っていたが、招提とはサンスクリット由来で「四方に遊行する修行者たちを総称して招提僧という」(広辞苑)とのことで、字面に騙されてはいけないという話であった。
 で、一瞬だけ最澄が出てきた。鑑真の教えの影響を受けた存在だと、解説の梅原猛も一言触れるだけ。え、唐突だ。そこらあたりを考えてみよう。それで、両者とも天台だ。なんだ、天台ということだけなのか。どうなんだ。帰国後の最澄はどうだったか。朝廷に大いにもてはやされた。そして、既存の奈良六宗と激しく対立した。いや、六宗は大打撃を受けた。最澄は日本旧仏教の何を攻撃したか。司馬遼太郎空海の風景』下巻二十三に次のようなことが書かれている。

奈良仏教は論である、あくまでも論であって、釈迦の言葉が書かれている経を中心としていない、さらには人間が成仏できるということについての体系も方法も奈良は持っていない、と最澄ははげしく言いつづけているのである。

 うーん、結局鑑真が持ち込んだ戒律も、悟りへの道ではなく律令制のための道具となった。それじゃあかん。そういう風に最澄はんは思ったんや。悟りのための戒律や、と。そういや最澄は思想体系づくりを置いたままにして、各地を回って寺おったてて教えを広めたりと、そこら辺で鑑真に通ずるというわけか。とすると、やはり鑑真と朝廷に対立のアングルがあった方が流れとしてはしっくりくる。そんな感じでいいのだろうか。
 ちなみに、最澄先生は狭き門をくぐってはじめから国家の戒律を授かったエリートだったが、空海先生の方は一時期、国が憂えた私度僧となって野山をほっつき歩いていたわけで、そこらあたりは面白い。その後、綜芸種智院を作ったりと、やはり既存仏教への「私立」な感じはあったかな。とはいえ、最澄空海も時々の天皇と交わり深い公も公、公のど真ん中だ。ここらあたりは、お上の方に何か意識の変化があったか。で、既存宗派とのつきあいで完全に上手くやったのは空海の方だった、と。
 しかしまあ、それでもあれだ、税金逃れの坊主は減らなかった。これより後の三善清行が『意見封事』に書くところによれば、

諸国百姓。逃課役遁租庸者。私自落髪。猥着法服。

 ということらしい(赤坂憲雄『境界の発生』)。ここらあたりは仏教の論とは別の領域で語られるべき部分であり、まさに『境界の発生』においても「無縁の象徴としての法師姿」について触れられているが、赤坂憲雄の別の著作にあたるといいのかもしれない。まあ、少なくとも国を困らせた法師姿はその後もあり続けた、と。
 うーん、このところ読んだ本だけでもいろいろと照応しあう部分がある。ほんとうに数少ない本の中で。となると、読書が趣味というような人となると、一を聞いて十を知るかのようにパパパッと脳が乱反射していくのだろう。それは楽しそうだが、俺は脳の容量とOSに自信が無いから、攻殻機動隊に出てきた外部記憶みたいなものが九千八百円くらいで買える世の中が来るのを待つより他ないのであった。