おれは楽園追放仮説論者か〜『進化心理学入門』を読む〜

 「なんでリンゴは甘いのかしら?」
 「果糖やショ糖が味蕾の受容細胞に反応を引き起こすからさ」
 「あなたってつまらない男」
 ……至近的説明
 「なんでリンゴは甘いのかしら?」
 「リンゴが必須栄養素であるミネラルやビタミンCを含んでいるからさ」
 「すてき、抱いて!」
 ……究極的説明、あるいは機能的説明。

至近的説明は、本質的に、なぜヒトがそのように作られているのかという根本的な疑問には答えない。究極的説明は、行動や心理的傾向の適応的意味や機能的意味を、そのメカニズムが私たちの祖先の生き残りにどのような利益を与えたかという点から明らかにする。進化心理学は、人間の行動について究極的な説明を試みる。

 加藤忠史先生は躁うつ病の本の中で、糖尿病とて人類が極寒を生き抜くために必要だったものの名残である、というようなことを言っていた。
 躁うつ病双極性障害。とりあえずは、おれは一年かけてそう診断され、それに見合った薬を処方され、服用している。薬の効果を感じている。おれは、軽いかもしれないが、双極性障害。それが前提。
 双極性障害には遺伝が関係しているという話だ。あるいは、他の精神疾患も遺伝が関係しているかもしれない。なぜ、そのようなものが淘汰されずに残っているのか。単に運良くすり抜けてきたのか。
 おれはそのことが知りたくてこの本を手にとった。
 リンゴの甘さの説明、親による投資という概念、一人の父親から生まれた子どもの最多記録は888人でモロッコ皇帝イスマイール残忍王によるものであるということ、グリーンリーズとマックグルーが『プライヴェート・アイ』紙に掲載された恋人募集1599例から導き出した結論、

1 女性は男性よりも経済的保証を求める。
2 男性は女性よりも経済的保証を申し出る。
3 女性は男性よりも自分の身体的外見を宣伝する。
4 男性は女性よりも身体的外見を求める。

イギリスの生物学者ホールデンがパブで飲みながら「少なくとも一卵性の双子ひとりかいとこ8人のたなら自分の命を捧げる」と言ったこと、人の脳が霊長類の脳重量で予測される約780gよりも大きい約1330gもあること、現代の人間にとってはコンセントの方が危険なのにより大きくヘビに恐怖すること、継子殺しは実子殺しの100倍の危険度があるという研究があること、睾丸の大きさからヒトが一夫一妻制が基本的だと推測されること、予測されるペニスの大きさより大きいことについては解明されていないこと……、そういったエピソードはどれも興味深い。しかし、おれが知りたいのはそのことじゃない。
 知りたいのは「第6章 心の病を進化から説明する」だった。目次を見てそう思った。
 連続爆弾魔であるシオドア・カジンスキーは次の文を『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されるよう脅迫した。

 現代社会の社会的・心理的問題は、ヒトという種が進化してきた条件とはまるで違う条件の下で生きるよう、社会が人々に強いていることに原因がある。

 シオドア・カジンスキーは1996年に逮捕され、4回分の終身刑に服しているという。
 このような考え方を楽園追放仮説というらしい。フロイトユングもこういった考え方を検討していたという。もっともらしく、支持者も少なくないという。

 左の漫画は石黒数正『木曜日のフルット』3巻からの引用だ。1巻か2巻でも似たような描写はあったように思う。われわれはよりにもよって自らの手でわれわれにとって好ましくない環境を作り上げて自らを苦しめている。
 著者はこの考えに対する反論を提示する。われわれの人口は60億にも達し、チンパンジーは数十万しかないじゃないか。あと、石器と宇宙船なんて極端な比較ばかりするのは不自然だ。人の営みはそう大して変わっちゃいない。なるほど。
 仮説は主語が大きい、と素人のおれは思う。われわれ? おれという人間はたまたま今のこの社会に適応できていないポンコツだ。

 全体的、一方的に流れるものではない。もっと別の形の社会の中では、おれは実力によって王様にだってなれたかもしれない。その世界では、今、この現世でおれより収入が多く、心身ともに健康で活発な人間が悶え苦しんでいたかもしれない。そう想像するのは悪くない。これをあの世だの来世だのと先の話にすれば、ルサンチマンの6文字が生み出す宗教の一面になるかもしれないが。

 ある表現型のヒトに向いている社会、いや、もっともむき出しの世界というものがある。そこではヒーローだ。だが、その世界が形を変えると、とたんに役立たずになる。害悪にすらなる。おれがそれを直感したのは会田雄次『アーロン収容所』だった。戦場で頼りになる男が、収容所社会というものができたとたんに精彩を欠いていく、見捨てられていく。その落差。
 むろん、『アーロン収容所』は遺伝にその理由を求めたりはしていなかったように思う。だがおれは、おれの乏しい想像力の中、ジャングルを生き抜く、殺し合いを生き抜く、そういった能力のすべてが獲得形質によって説明できないように思えてならなかった。根拠のないおれのたわ言。必要以上の警戒心を有する、必要以上の勇気を出せる、そういったなにかは、平穏な場で過剰過ぎるものとしてDSMに照らし合わされる。処方箋のプリントアウト。そんな存在になる場合もある。
 統合失調症が人類に必要であった究極的説明は、人類が群れの大きさを適切にコントロールした結果だったという考え方も紹介されている。神がかったような言動をするやつが、それによって群れを割るというのだ(……ええい、進化に意志があるような書き方ができないのは面倒だ。空飛ぶスパゲティ・モンスターを主語にすれば書きやすいのか? 「空飛ぶスパゲティ・モンスターは人類の群れのサイズを適切な規模に保つために、カリスマ的、神がかり的な言動をする統合失調症をわれわれの遺伝のプールに遺した。これを集団分裂説という)。
 楽園か地獄か。おれが想像するに、おれの生きていられる間におれの時代はやってこない。世界が変わらないのならば、自分を変えなければならない。できるか? する気もおこらない。あるいは、世界はもっと多面的で、おれが認められる場がどこかにある。サードから外野手にコンバートした結果ベストナインに選ばれる? くそったれ、おれはサードと外野のコンバートの難しさも知らない。
 楽園か死か。上に紹介した「一卵生の双子〜」の話。ヒトとかいうものもしょせんは遺伝子の乗り物だとすれば、の話。想像の通り、「自分が血縁者の資源を消耗する原因」であると考えると、自殺を考える傾向が強い、という研究もあるらしい。
 進化心理学というのはなかなか悪くない。おれにはそう思える。

 精神疾患の原因を分子レベルで同定できるようになれば、動物モデル研究にもちこむことも可能である。統合失調症を動物で再現することができれば、自我とは何か自我が障害されるとはどういうことなのかが、いよいよ動物でも研究できるようになるだろう。
 これまで主観の領域と考えられ、科学の土俵に乗せにくかった自我や感情などの精神機能の分子基盤の研究は、精神疾患脳科学的解明を契機に、一気に新たな展開を迎えると期待される。
躁うつ病に挑む』加藤忠史

 心理というものも怪しげな夢判断から内科の領域に行くことだろう。もっと細かく微細な。化学的不均衡に対する大雑把な薬剤投与なんてものよりずっと的確に。そして、それによって構成される個々の人間があって、これが構成する社会がある。そこを一気通貫できるものはあるのか。あったらどうなるのか。北一輝はこう言った

一個の生物は(人類に就きて云へば個人は)一個体として生存競争の単位となり、一種族の生物は(人類につきて云へば社会は)亦一個体として生存競争の単位となる。……個人が一個体として意識する時に於いて之を利己心と云ひ個人性と云ひ、社会が一個体として意識する時に於て公共心と云ひ社会性と云ふ。何となれば、個人とは空間を隔てたる社会の分子なるが故に而して社会とは分子たる個人の包括せられたる一個体なるが故に個人と社会とは同じき者なるを以てなり。即ち、個体の階級によりて、一個体は個人たる個体としての意識を有すると共に、社会の分子として社会としての個体の意識を有す。

 究極的説明の先に人類究極の社会、それが「類神人」か「神人」の「純正社会主義」かユートピアディストピアかピエリ守山かわからぬが、突き抜ける一本の矢がほしい。それによっておれのような現社会不適応者のなにが救われるというわけではないが、せめて殺される理由の説明くらいは欲しいのだ。