どこかのだれかにご褒美をいただくために生きてるつもりはねえけれど

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どこかのだれかにご褒美をいただくために生きてるつもりはねえけれど、それにしたってあまりになんにもなさすぎるんじゃねえのおれの人生。

なんにもなさすぎるから、逆におれがどこかのだれかにご褒美をくれてやるような立場もなければ金もないわけなんだけれど、もうさすがにこの歳になってやっぱりなんにもなさすぎるんじゃねえの。

思えば楽しいこともなに一つなかったし、もしあったとしても思い出すこともできねえし、今はもうなにか感じる心というものがまったく見当たらなくなってしまって、もうなにもしたくないっていうか、ずっとなにもしたくないって思ってて、まあずっとなにもしたくなくてなにもしてこなかったからご褒美みたいなものももらえないし、だれかにご褒美をくれてやるような立場にもなくて、ただひたすらに金がなくて金がなくて、生きていくことができなくなって、死を選ぶしかなくなるわけじゃないの。

思えば楽しい思い出は何一つないし、それでもなにか思い出そうとすれば、思い出したくない事柄ばかり頭に浮かんできて脳みそを吹っ飛ばしたくなるわけだし。

おれなんかはべつに特別の人間でもないわけだから、こんなふうに感じながら生きている人間も少なからずいるはずだし、日本でも何百万人とか何千万人いたり、世界で何億人もいたりするかもしれないし、そういう無駄な命が不幸で無残な人生を送る負の力というものが確実にこの地球のまわりを悪いものにしているのだからおそろしい、おそろしい。

だからおれのような無能で無気力な人間が再生産されないように気を配るべきだし、ほかのだれかの脳みそを吹っ飛ばさないように監視するべきだし、静かに死なせる方策を考える必要があるように思えてならない。限られた資源の中でそういった人間に費やされるエネルギーはないんだよって諭すような言葉が必要なように思えてならない。そこになにかきれいごとの言葉は必要じゃなくて、心臓を一突きするような鋭さが必要だし、反撃する余力も与えない圧倒的な力が求められるはずだ。圧倒的な言葉、あるいは暴力そのもの。

それとももう、そんな言葉や暴力で溢れかえっているのかな?