マイルドヤンキーってマイルドエリートじゃねえの?

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おれは怠惰に生きてきたが、悪行をして生きてきたということはない。法やモラルを守っておとなしく生きてきた。その見返りはなにもない。そう気づいたのはいつだったろうか。金銭的に追い詰められ、人生を終えようとしている最近のことかもしれない。

不良が更正してビジネスで成功する、などという話がある。それは当たり前のことなのだ。なぜならば、それなりの膂力や度胸、対人能力、そして知恵がなくては不良になれないからだ。そして、それらの有能は不良でない世界でも通用する。

マイルドヤンキーという言葉を見るようになった。もしそういう階層があるとして、彼らがそれなりに生き続けられるのも、それなりの有能があってのことにほかならない。おれのような他人を忌み嫌う脳を病んだ短躯の無能者にはなれやしないのだ。

おれに言わせればマイルドヤンキーなどマイルドエリートにほかならない。おれは金がなくて近々死ぬことになる。かれらは何らかの伝手かなにかで生き残る。本当のエリートからは蔑まされるかもしれないどこかに居場所を見つけて、きちんと生きる。子供さえ作るかもしれない。おれには逆立ちしても無理なことだ。そもそもおれは逆立ちができない。

失敗した人生の研究。おれのことを顧みること。精神に問題のある人間は子供を作らない方がいいかもしれない。背の低い人間は子供を作らない方がいいかもしれない。金のない人間は子供を作らない方がいいかもしれない。優生思想? そう言われても結構。止めなくてはならないのは不幸の再生産。生産は止められないかもしれないが、再生産は予防できるかもしれない。この世は生きるに値する人間によってのみ回転するべきであって、おれのようなものは不要だ。強く、優秀なものによって世界を作ってくれ。世界は良い方に向かう可能性がある。おれのようなものがいなくなれば、その可能性は増すことだろう。おれにだってそのくらいの前向きな考えはある。考えはあるのだ。