自殺は数ある選択肢の一つではない

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自殺は数ある選択肢の一つではない。

たった一つ自分に課せられた必然である。

本牧通りを歩いていた。不動産屋の前に警察官が六人、七人、いや、八人はいただろうか。このあたりでは珍しい光景ではない。

いつの間にか同じ場所の店が三つも変わった。前の二つの店主はどこに行ったのだろう? そこで働いていた人はどこに行ったのだろう。この世ではないどこかにいったのだろう。

ダートに戻ったところでバンズームは勝つことができなかった。先週も今週も中山の芝はタイキシャトルと決めていたのだから、素直にストレイトガールから行けば、サクラプレジデントの子にも手が回ったのだから当てることができたのに、おれの手元にあるのは香港馬の馬券だった。紙の馬券ではないが。桜木町の場外で働いていた人たちはどこに行ったのだろう。

試供品のメンソール煙草を窓の外に吐き出して思う。向かいの汚いアパートにはどのような人間が何年住んでいるのだろう。こちら側の汚いアパートの住人であるおれはそう思う。

おれは服を捨てるとなればおおいに捨てる。捨てるとならなければぜんぜん捨てない。おれの服は増える傾向にある。古着が増える傾向にある。アメリカの作業着が増える傾向にある。おれが新しく買った古着の胸には「Town of Wallkill」というワッペンが貼ってあった。進撃の巨人を思わせるその町は実際にあって、ウェブサイトを覗いてみれば「WHERE HAPPY BABIES ARE BORN」というキャッチフレーズが目に入る。ハッピーでないベイビーはどこに生まれるのか。

おれはハッピーなベイビーではなかった。おれの人生のどこを探してもハッピーは見つからない。驚くほどに見つからない。人に劣ることばかり、劣ることに不満足感を抱くばかり。おれのような、他人の足をひっぱることすらできない無能者に生きる場所などありはしない。ずっとまえから知っていた。

空から100人の天使が降ってきた。そのうち99人は地面にぶつかって死んだ。1人は走行中のBMWのボンネットにぶつかって死んだ。その確率をあなたはどう考えるだろうか。そもそも天使は「人」で数えることができるのだろうか。羽があるからといって飛べるとは限らないのは確かだが。

アパートの壁にわりと本格的な蜘蛛がはりついていた。小さな窓を通って外に出てもらおうと思ったが、暗い押入れに逃げ込んでしまった。そこに食べるものはあるのか。お前はそこで死ぬのか。いずれおれがひょんなことからお前の亡骸を見つけて驚くのか。そんな機会が訪れるまえにおれが死ぬのか。

貝印は替刃が安い。とはいえ、うまく剃るにはそれなりのテクニックが必要だ。切れ味は悪くない。ただ、もうちょっとヘッドがいろいろな角度に動いてくれればいいようにも思う。床屋のカミソリは何でできているのか。やはり毎日砥いでいるのか。

何年かぶりにF1の放送を観た。早回しで観た。知ってる名前もあれば、知らない名前もあった。たいして面白いもののように思えなかった。このごろは大相撲中継が好きだ。おれが好きなのは大砂嵐だ。好角家に言わせれば相撲が汚いということなのだろうが、おれはそこがいいと思う。あとは腕力で相手を吊り上げて、そこで一歩出せないで戻して、また吊り上げてを繰り返して、相手が諦めたところで勝つ栃ノ心が好きだ。知らないジャンルに飛び込むときは、そのジャンルの極端に強いものか、あるいは異端のものに惹かれることが多いと思う。阿波勝哉から競艇に入ってもいいだろう。

ラグビーの試合というものをはじめから終わりまで初めて観た。ルールがよくわからないものだと思い込んでいたが、ルール自体はそれほどむつかしいものではないような気がした。ただ、戦術となるとまるでわからないのが事実であった。それでも観続けられたのは日本が勝っているという理由からだけだったのだろうか。

日本がどうなろうと知ったことではない。どんな奇異な殺人事件にも興味はないし、世の中を動かす外交や経済にも興味はない。日本銀行横浜支店の店長(という肩書があってるかしらないが)が、「アベノミクスの恩恵を受けられないという中小企業の人は多いが、待っていても受けられない。奪いにかなければ得られない」というようなことを何かのインタビューで述べていた。おれのような何の取り柄もない無能者はどこになにを奪いに行ったらいいかわからない。それでも差し出される手は存在しない。落ちたときに包んでくれるネットは存在しない。おれはそこらへんを歩いている金持ちそうなババアのハンドバッグを奪いにいけばいいのだろうか。

いや、そんな物騒なことを考える必要などない。

自殺は数ある選択肢の一つではない。

おれに与えられた唯一の必然である。

できることなら、心安らかに、自分の終焉を定めようじゃないか。

おれには今、生きる価値などないし、その先に生きるための糧のあてもない。

甘いことを言うな。おれには今、生きるための糧のあてもなくなってきている。

おれが自殺するのは必然である。

そのことはあえて記すまでもなくおれの心に刻み込まれている。

最後の処理に向かって決して長くない道のりをずったらずったら歩いている。

できることなら、心安らかに。