横田増生『評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」』を読む

 

テレビや芸能界に関する話題で、はてなブックマークでたまに見られるやり取りがある。

ナンシー関がいたらどう評したろう?」

ナンシー関が死んでから何年経ったと思ってるんだ↑」

こういうやり取りである。

たしかにナンシー関が亡くなってから、ずいぶん経った。けれど、おれはどちらかといえば、いや、断然前者である。ナンシー関亡きあと、ナンシー関のように鋭くテレビを切り抜いてみせる人間はいないように思うからだ。

おれとナンシー関ナンシー関とおれ。おれがナンシー関を知ったのは「週刊文春」と「週刊朝日」の連載においてである。我が家ではこの二誌と「週刊新潮」を購読していた。おれは小学校の高学年くらいからそれを読んでいた。そこにナンシー関がいた。当たり前のようにナンシー関がいて、おれはそれを読んだ。そして訃報に接した。それだけのことである。

ナンシー関の死。おれはなにかそこに暗いものを感じずにはおられなかった。一人ひたすらにテレビを見続け、文章を書き、消しゴムを彫る、そんな巨体の女性が早死にする。なにかひどく不幸なことだと思った。

が、しかし、おれは本書を読んで、けっしてそればかりではなかったということを知った。知って安堵した。どんな安堵かわからないけれども。サブカル界の有名人と交流を深めるナンシー関、バンドでベースをやるナンシー関、カラオケ大好きなナンシー関(はじめは嫌っていたらしいが)、自動車免許取得に苦労するナンシー関……。健康的な面も、あったのだ。無論、これといって運動もせず、売れっ子として(おれは先に挙げた二誌以外にナンシー関の活動を知らなかった。おれはサブカルとはあまり縁がなかった。『宝島』編集者の息子なのに)、ひたすらに仕事をこなし、そのためにテレビを見なくてはならない、というのはあったとしても。

本書では、ナンシー関ゆかりの人物などのインタビューが多い。宮崎滔天の評伝ともなれば、生きている人間は少ないだろうが、ナンシー関はこないだまで生きていた人物だからだ。その中に宮部みゆきがいる。宮部みゆき自身はあまりテレビを見ないというが、ひたすらにナンシー関の文章を評価する。そして、ナンシーの姿勢をこう評する。

宮部はまた、ナンシーから自分を客観視することのを大切さを学んだ、と言う。

民俗学者のの大月隆寛さんが、ナンシーさんとの対談で、みんな心に一人のナンシーを持とう、とおっしゃってるでしょう。その言葉に私自身、とても賛成しているんです」

また、大月本人はこう述べる。

「自分で自分に突っ込む姿勢を持っていようよ、っていうことですよ。自己を相対化できていないと、変な宗教になんかに熱中してしまうことにもなる。恋愛でも、青春でも、楽しかったり、一生懸命になったりしたときこそ、どっかで自分に突っ込みを入れてないと、周りから見て“痛い”ことになっているときがあるから。ナンシー関ってどんな人だったかって、聞かれることが多いんですけれど、いつも、すごくまっとうなヤツでした、男前でした、って答えることにしているんです。付き合うことで、こっちが鍛えられるようなすごいヤツでした、って」

ナンシーが自分自身を「規格外」と規定し、それをわかった上で、ときにテレビの人に対して攻撃をする。でも、自分を客観視している。そのスタイル。そのスタイルはどこからきたのか。どうも、その元にあるのは「ビートたけしオールナイトニッポン」にあるのかもしれない。

どこがどうとは特定できないが、私の中の何かの基礎がビートたけしオールナイトニッポンによって出来上がったことは否めない。否まなくてもいいが。

本人の言である。おれはおれの「基礎」を東海林さだおのコラムといしいひさいちの漫画にあると感じるように、ナンシー関の「基礎」はそこにあった。おれは「ビートたけしオールナイトニッポン」に間に合わなかった世代だ。「ビートたけしオールナイトニッポン」は偉大な番組であったとたまに見る。そして想像するしかないのだ、あのたけしがキレキレだったときは、どのくらいのものだったかと。

して、そのナンシー関が惚れ込み、また、その相手からもナンシーを評価した芸人がいる。ダウンタウン松本人志である。そういえば、松本も連載していたっけな。その松本との対談や、松本の文章によって、よりテレビ業界でのナンシー関の影響力は増したという。

と、ここで思うのだ。やはり思うのだ。たとえば今のダウンタウンを見てナンシー関だったらどう書いただろう、と。そして、本書に消しゴムはんこが載せられている人たちの今を、新しく出てきたなにかを、ナンシー関ならば、と。本書がはじめに出版されたのが2012年というのもあるが、例に挙げられている人で、意外にまだまだ「テレビにおける過去の人」は少ないのだ。そこにある種の普遍性がある。あるのではないか。歌丸はまだ健在だ。歌丸は健在だが(正確に「健」なのかは微妙だが)、ナンシー関は39歳で死んでしまった。やはりおれは「ナンシー関ならどう評したろう?」と思いながらテレビを見るのだろう。ひょっとしたら、おれを形作る「基礎」の中にナンシー関はあるのかもしれない。少なくとも「ナンシー関だったら」と思い至るだけの回路は、あるのだ。

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ユニクロ潜入一年

ユニクロ潜入一年

 

おれは最初、横田増生ユニクロものを読みたくて、検索などしていたらナンシー関の評伝を書いていることを知った。表示に真面目な書き手という印象だった。ナンシー関という題材をここまで真面目に書くのか、という。ま、いいけれど。

 

評伝宮崎滔天

評伝宮崎滔天

 

 

渡辺京二『評伝 宮崎滔天』を読む - 関内関外日記(跡地)

これはまあ、タイトルで「評伝」とあったので思い出しただけ。