ひきこもりの子供にだれがなにを語るべきなのか?

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さきほど、たまたまNHKクローズアップ現代でひきこもり特集を見た。

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「学校に行かない子どもたち」の問題として1980年代に社会問題化し、2000年代にかけて大きくクローズアップされた「ひきこもり」。いま、新しい局面を迎えている。長期化・高齢化が深刻化しているのだ。40代、50代のひきこもりの人が、高齢の親と、経済的、精神的に追い詰められ、孤立死する事態も起きている。一方、ひきこもりの当事者や経験者らが、みずから声を上げ、社会に向けて積極的に発信する動きも、目立つようになっている。超高齢社会に入った日本の「ひきこもり問題」、家族のありようを見つめ直す。

中川翔子山田ルイ53世が出ていた。ふたりとも元ひきこもりで当事者であることはたしかであろう。

そして、かくいうおれも……さんざんっぱら書いてきたことだが……元ひきこもりである。いや、果たして「元」がつくのかどうかすらあやしい。対人恐怖から、職場では外部の人間と接さないように配慮されているし、いまだに一番の下っ端だけれど電話に出たりしない。そして、なにか趣味の集まりに参加していたり、いきつけの飲み屋があったりすることもなく、毎日のようにお好み焼きを焼いて食ってかろうじて食っている。

話をひきこもりの現役時代に戻すとすると、それは二回掘り返される。一回目は小学生のころだ。おれはいじめられていた……のと同時に、おれはまわりの同級生を見下していた。おれは嫌われており、いじめられていた、そしておれも同級生を嫌っていた、というのが正確なところだろう。おれが嫌味で他人に不快感しか与えない人間だというのは、おそらく物心ついてから今まで一瞬たりとも変わっていない。

小学六年のころになると、まったく友達のグループというものに属することもできず、一方でこんなクソ地獄から抜け出すためという目的もあって、中学受験に心は向いていた。そんななか、受験を控えた冬だか秋だか、冬休みのあとだか……おれは風邪をひいた。これ幸いと学校を休んだ。大事を取る、という大義名分があった。そんなふうにしておれは学校を休み続けて、ついに冬休みより長く学校に行かなかった。受験が終わったあとに登校して、だれかにそんなことを言われた。

二回目は大学中退からしばらくの期間だ。おそらく年単位であったし、小学生の不登校とは違って、本格的なひきこもりだといえるかもしれない。ひきこもりに本格があるのかどうかしらないが。ともかく、おれは大学で友人を作ることに失敗し、フランス語の活用を覚えることもできず、その上「二人一組になって課題を出してください」と授業で言われ、心底ばからしくなった。大学というところまできて「二人一組」か、と。おれはもう完全に大学に行く気を失って、夏休みに入ると、そのまま学校に行かなくなった。大学の夏休みがいつまでか知らぬ母もうっかり見逃したらしく、そのままドロップ・アウトした。ドロップ・アウトして、実家でファミスタなどやって暮らしていた。昼夜は逆転し、そのころインターネットというものにも出会い、ひたすらにエロ画像を漁っていた。

その後、親が事業に失敗し、実家が失われ、一家離散と相成って、ひきこもろうにもひきこもる場所がなくなった、という流れである。その流れで、おれはみごとに社会復帰を果たし、貧困と不安の中で双極性障害という精神疾患をみごとに発症し、それでもまだ底辺を這いずってかろうじて生きている。生きるのは嫌だが、死ぬのも嫌だ。トマトが嫌いだからといってピーマンを好きにならなければいけない理由はない。

話を巻き戻して中川翔子の話などしようか。どうも、中川翔子はキラキラしすぎだし、元から持っていた地位や素材が良すぎるように思う。もしひきこもり時代のおれが中川翔子の語りを聞いたら、逆に反発してしまったことだろう。

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 あのときの自分は「私、学校行けてないし、こんなに人に嫌われたり、悪口言われたり、思い描いていた自分じゃない。私は間違っている。私はダメなんだ」って思っていた。

 けど、「NO! オールオッケー! 大正解! それを続けてください! それで大丈夫です! 未来の私がなんとかします!」って言いたい。

 学校に行けなくたって、大丈夫。ちょっと、避難するだけだから。その、悩んだ時間の何倍も、「ああ、生きていてよかった」って思える瞬間がある。

これが「きっついよなー」と思えるやつがいたら、おれと同じ側の人間だろう。未来のおれは過去のおれに「YES! オールアウト! 大失敗! おまえが生まれてきたのは大失敗! まったく駄目です。未来もどうにもなりません」としか言えない。

しかるに、芸能界やなにかで活躍している元ひきこもりを持ってきて、「大丈夫!」と言わせるのは、やはりきついんじゃないのか、と思わざるをえない。お前らはそもそも素質があったし、チャンスもあった、だから成功して勝ち組になっているだけじゃないのか、と言いたくなる。

じゃあ、どのあたりがいいというのか。

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ーーとんでもない過去があるけれど、なんだかんだ言って面白そうに今を生きている人と出会ったらいいということですね。

そうそう。そんなのがいいですよね。昔、ある伝統的な医学部の前に、その医学部を卒業した店主のパン屋さんがあったんです。医者じゃなくてパン屋さんになって、医学部の学生から愛されてとても繁盛しているなんて話を聞いたこともあります。そういうのもありですよね。

うーん。

ーーそうすると、メディアも立派な人の成功談ばかりではなく、はみ出し者をたくさん紹介していかないといけませんね。

僕はそう思うのですよね。子供たちはそういう情報を積極的に集めてほしいですよね。

はみ出し者たちの遠い伝説が……。松本俊彦先生の本は何冊か読んだし、まっとうなことを言う人だと思うし、ここでもまっとうなことを言っているように思える。とくにあとの発言なんかは、おれが言いたいことと一致しているじゃないか。

が、やはり「はみ出し者」というのもハードルが高い。おれはそのくらい低いところから下から目線でものを見ている。今も、昔も。

立派な成功談(中川翔子など)>はみ出し者(パン屋さん)>底辺の生活者(おれなど)>ひきこもり続行中

などと書いてしまうと反発もあるだろうが、まあ一般的な社会、生産性のみが求められる社会の価値観(おそらくそれは正しい)からいうと、こういうことになるだろう。そして、おそらくだが、人数はこの逆である。子供たちが「そういう情報」を集めようとしたら、まず目に入るのがひきこもり、ニート、あるいはニートの定義からも外れてしまった高齢ひきこもりじゃないのか。あるいは、おれのような人生の落伍者の呪詛、それが先にくるのではないだろうか。もちろん、中川翔子などキラキラしたものもよく目立つが(さっきから中川翔子を悪しざまに書いているように感じているあなた、それはおれの本意ではないと一応断っておきます)、世の中はしょうもない呪いに満ちているのに気づくのではないだろうか。ちょうどいいくらいの「パン屋さん」の話はあまり目立たない。もっと頑張ってキラキラした場所に行った人間(たとえばひきこもりの支援者に回った人とかも)か、おれのようなゴミカスを見ることになる。おれのようなゴミカスが向精神薬とアルコールで早く人生を終えてしまいたいという愚痴をこぼしているのを聞くハメになる。

そう、おれは躊躇なく言えてしまう。「この世で恵まれた資質を持つ人間というのは希少だし、おまえに機会を与えてくれるような人間というのも少ない。おおよそおまえの人生はそのままだし、社会に出ようが出まいが地獄であることには変わりがない。もし、実家に金があるとかいう幸運に恵まれていたのならば、そのまま部屋を出ないほうが幸せであろう」と。

さもなければ、死んだほうがマシだと言うべきなのかもしれないが、おれは自殺未遂すらしたことがないのでいいのかどうかはわかりかねる。

 一日また一日と、私は「自殺」と手をたずさえつつ生きてきた。自殺をあしざまにいうのは、私からすれば、不正、恩知らずのたぐいだ。自殺ほど理にかなった、自然な行為があるだろうか。自殺の反対物を考えてみるがいい。この世に在ろうとする気狂いじみた欲求がそれだ。人間の、骨がらみの病い、病いの中の病い、わが病い。

― エミール・シオラン

シオランは84歳まで生きて、死んだ。

 

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……そうだな、シオランはきついので、読ませるなら辻潤あたりがいいんじゃないか。