俳優のピエール瀧容疑者逮捕 コカイン使用疑い | NHKニュース
0時前だったか、0時を回ったころだったか、もう寝ようかな? と思ったそのとき、女からメールがあった。
「ピエール瀧、逮捕されちゃったね!」
え? 瀧、なんで?
あわててYahoo!のニュースアプリを立ち上げるが、まだ記事はない。そこでTwitterを見てみたら瀧一色になっていた。少なくとも、おれのタイムラインは。
Everybody feels the same、とは言わないが、ああタイムラインに踊っているいろいろな言葉におれはたくさん同意した。素なのに狂ってるのがよかったんだろ、とか、驚いた、とか、驚かない、とか、石野卓球はどうするんだ、とか、過去の電気グルーヴの歌詞やネタに重ね合わせたり、とか……。
そして、なにより最近のピエール瀧といえば、役者としての存在感がすごかった。脇役としての存在感もあれば、NHKの『64』では、主役を堂々と演じていた。
それにしても、ピエール瀧の出演してきた映画やドラマにすばらしいものが多いこと。どうなっちまうんだ。あいにく、おれは今年の大河ドラマを見ていない(日曜の夜、どうもそういうタイミングになってしまった、というだけで、とくに見ない理由もない)が、それにも出ていて、ドラマの評判も悪くない。視聴率は知らんが。
ああ、そうだな、おれがこのエントリーのタイトルに「まで」と書いたのは、新井浩文を念頭に置いている。新井浩文も、おれのなかではピエール瀧と同じく、「出ているだけで作品が一飜上がる」役者だった。逮捕されたときは、「マジか?」と思ったし、「いや、まだ逮捕だけだ、推定無罪だ」と思って触れないでいたけれど、まあなんというか、どうにもその後の報道からうかがえる情況は……。
そして、官のリークの良し悪しはともかくとして、ピエール瀧も容疑のコカイン使用を認めているというではないか。ああ、どうなってるんだ、まったく。
新井浩文とピエール瀧が出ていた映画を、日本映画史から「無かったこと」にしたとしたら、どれだけ貴重なものが失われるのか。おれは彼らを「一飜上がる」と書いたが、それはやはり(主役であったとしても)、「ドラ」や「赤5」、「春夏秋冬牌」(おれが麻雀を打っているころ、四牌混ぜておいてツモったらその場で晒して再度ツモ、上がれば一飜、というルールで使っていたけど、ローカルだろうか)みたいなもんだ。それで上がり自体がチョンボになるなんて、それはおかしい。作品は、もちろん瀧の場合は電気グルーヴの作品まで巻き添えにするのは、やはりおかしい。
これについては賛否あるだろう。あるいは、特定の被害者がいる新井浩文のケースと、ピエール瀧のケースは分けるべきだという声もあるだろう。
おれも、正直、「やはりおかしい」と打ったあとに、「そうなのかな?」と思ってしまったのは事実だし、迷いが出てきた。たとえば、子供向けがメーンであるディズニー映画と『アウトレイジ』を分けてるべきか、という話もあるだろう。わからん。
わからんが、しかし、やはり、「無かったことする」と、巻き添えがあまりにも大きい(巻き添えにした本人たちの責任は当然でかい)。それは大げさにいえば文化の喪失だ。とはいえ、海外、というかアメリカ(カナダだっけ?)でも今になってマイケル・ジャクソン作品が問題になっているように、どうしたものかというところだろう。
おれとしては、自粛する側にも自粛する事情はあるにせよ、気づいたら普通に流通していた、くらいになってもいいんじゃねえかと思うのだけれど。本人の懲役が終わるまで、とかだと長いかもしれないが、なんかこう、なんかね。
※追記:全作品がお蔵入り、というのはちょっと極端な想定かもしれない。
ああ、しかしなあ、ピエール瀧がなあ。おれは女がニュース速報を見て「知らせなきゃ」と思っていたくらいには電気や瀧のファンだった(のだろう)。エヌ博士もどうなるんだろうな。ああ、もう、まったく。富士山よりちょっとでかくて、外人と並ぶとそうでもない大男、ワインと野球の集合体、そうだ、ワインじゃだめだったのか。くそ、もったいないな。