ローソンのやつ、あるいはデザインとはなにか

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ローソンのPBのデザインがネットで話題になっていた。わたしはそれを無視した。なぜならわたしは100円ローソンなしでは生きていけないけれど、行動範囲に普通のローソンはないから。

が、ローソンに寄る機会があった。コンビニ食材で作るホットサンドを作ろうと、セブンイレブンで買い物をした。が、肝心の食パンを買い忘れたのだ。だからおれはふだん使わないローソンに入った。ローソンでも、ホットサンドに挟むものを買おうかと思った。そこで直面した、ローソンのPBのデザイン。

正直なところを言うと、失敗だな、と思った。正確にいえば、この店舗のこの棚では失敗だ、ということだ。商品名が上にありすぎて、棚の天井に隠れてしまっているのだ。そして、たくさんの指摘がある通り、内容物写真は小さく、かわいいデザインは抽象的すぎる。おれは姿勢を変えて、商品名を見ることになった。あるいは、ちょっとつまんでみて、ものを確かめた。

ただ、これをもっておれは「このデザインは失敗だ」とは言えない。と、その前に、おれについて語る。おれの仕事は……なんだろうか。Adobeモリサワの奴隷ではある。DTPといえばそうだろうが、デザインをしないわけでもない。とはいえ、紙媒体でないDTPが多い。おまえはIllustratorのアートボードが基本的に縦1280mmという仕事を知っているだろうか。あるいは、文章を書かないわけでもない。たまには写真も撮ったりする。WordPressPHPファイルをいじったりもする。たまに土を掘ったりもする。なんだかわからない。わからないが、デザインをしないわけでもない。賃金はひどく安い。

なので、一応は、デザインについて興味がないというわけでもない。だれに教わったわけでもない、見様見真似の当て勘だけでやってきたといっていい。が、一つだけ指標にする言葉がある。情熱大陸的なテレビで見たのだったと思う。発言者は佐藤可士和、だったと思う。

曰く「デザインは問題を解決する手段です」。

おれは、「おお、そうなのか」と思った。デザイン、商業デザインとあるていど近接するジャンルに芸術というものがある。芸術は手段だろうか。作者の意思によっては手段であることもあるだろう。だれかによって手段に使われることもあるだろう。だが、おれのなかで芸術というものは無目的の目的であるというのが根底にある。非合目的の目的だったか、まあいい。だが、デザインは手段である。しかも、問題を解決するための手段である。観光案内図があれば、それは旅人が目的地にたどりやすいよう、また、知らない情報を伝える手段である。店のチラシがあれば、それはその店の魅力、商品の魅力を伝える手段である。コンビニのコーヒーメーカーにSサイズとRサイズのボタンがあれば……。商品のパッケージというものがあれば、それは……。

と、そこで、おれは一概にローソンのやつを非難できないのである。商品のパッケージの目的は、その商品を手にとって、買ってもらうための手段である。が、コンビニの惣菜パックは、他社のそれと一緒に並んで売られることはない。ひょっとすると、「ローソンの商品のデザインはいい」と、ほかの店舗から客を集めることになるかもしれない。どうにも売り上げがセブンイレブンとかに負けるから、一発なんかやってみようかということかもしれない。コンビニの売り上げが立地以外にどれだけ左右されるかはしらない。それはおそらくおれのまったくしらないマーケティングという分野になるのだから、おれにはわからんのだ。……ただ、ちょっとだけセブン-イレブンの惣菜とかは他より美味しいとは思っているけど。

わからんが、一消費者としては、あるローソンの店舗では、このデザインは負けていた。最低限の手段を満たせていなかった。が、たとえば試作段階で、ローソン本社かどうか知らないが、理想的な高さの棚があって、そこに並べたときは問題なかったのかもしれない。デザイン単体で見たら、それはおしゃれだ。「いいじゃないか」という話になってもおかしくはない。デザイン単体は、なんかおしゃれだ。悪くない。おれはそう思う。けれど、たとえば全国のコンビニ店長すべてとはいかないが、いくらかの店長の意見を聞いたのだろうか、店員の話を聞いたのだろうか。そうしたのかもしれないが、そうしなかったのかもしれない。おれにはわからない。おれにはそれしか言えない。

おれは決して、セブン-イレブンのわかりやすすぎるほどわかりやすい太い文字がかっこいいとは思わない。世の中のデザインのすべてがそれでいいとは思わない。わかりやすければそれでいいとは思わない。かといって、かっこいいからいいとも思わない。両立できれば最高だけれど、往々にしてあちらを立てればこちらは立たず、だ。その境界線を探るのが商業デザインの尽きないところだろうとは思う。せめぎあいだ。おれはデザイナーと呼ばれるような存在ではないので言えた義理じゃないが、まあそのあたりなんじゃないかと思う。

そして、商業の宿命として、売れなければそれで終わりだ。あるいは、いくら人々が「わかりにくい」と思っても、ユニバーサルデザインの専門家が非難しても、売り上げが上がって勝つということもあるかもしれない(おれは個人的に実用的なものについてユニバーサルデザインはほぼ必須のものと思うけれど)。そういうものだ。デザインを採用するのはクライアントで、判断を下すのはカスタマーだ。もしも売り上げが上がったらそれは手段として正しかったということだ。それに尽きる。デザインというものの片隅の下っ端の辺境にいるおれはそう考える。