ハルウララ連れ去り事件/馬主について思うこと

goldhead2004-09-17

 ハルウララ連れ去りのニュースが、競馬ファン以外にも知られているようで、今朝も会社の人から「馬主(ばぬし)とオーナーって同じ意味なの?」と聞かれた。なるほど、なかなか競走馬を巡る人間の関係というのは説明しにくいものだ。馬は馬主(うまぬし)の物で、それを金を払って調教師に預ける。で、誰か騎手に依頼してレースに出る。賞金は馬主に多くいき、あとは調教師と世話をする厩務員と騎手にいく。たとえば、賞金一億円のレースがあって、それに勝った武豊が一億円を貰えると勘違いする人も少なくない。あと、同じく説明しにくいのはF1。国対抗じゃないの?とか、チームとエンジンの関係は?とか。
 それはともかく馬主である。自分は馬主には胡散臭くあってほしいという、よくわからない希望がある。JRAみたいにピカピカな組織の中で、騎手も調教師もどうにも個性に欠ける人が多いように思う。そんななか、何らかの理由で金持ちである馬主という存在が、変な個性の部分を受け持ってもらいたいと思うのだ。
 その最たる例と言えば、やはり「フサイチ(房朗一番の略)」の関口房朗だろうか。こういうオッサンだからこそ、日米でダービー勝てるんだろかと思わせるインパクトがある。金持ち良血系でいえば、解体業者だったので最初の持ち馬に「カイタイオー」と名づけた近藤利一氏も侮れない。その後、やはり尊敬されるような名で、ということで「アドマイヤ」を冠名にしたのも安直でいい。
 まあフサイチ氏なんかは極端すぎる例としても、地方の馬主なんてのは更にわけわからんオッサンなんかで居てもらいたいのだ(偏見に基づく勝手な希望です)。
 で、最近話題の安西美穂子氏。この人は物書きで、たまにGallop誌などで見かけたけど、自分の趣味とはかけ離れているので、大して気にも留めなかった。それが、いつの間にやらハルウララの馬主となってこの騷動である。そんな中、もちろん確固とした反感はあるのだけど、どうも彼女は自分が望む「胡散臭い馬主」像に適合してるんじゃないかとも思えてきたのだ。知らん間に話題の馬の馬主になり、グッズのロイヤリティで揉めて、厩舎に馬運車横付けして連れ去るなんて、なかなかできる事じゃない。極端なロマン派のなれの果て、という批判と、ストレートに‘銭ゲバ’という批判を同時に浴びるなんて、考えてみればすごいことだ。この際、徹底的に暴れて個性を発揮して欲しいもの。もちろん、それが高知競馬やハルウララ関係者に良い形で終わればいいのだけれど。