われわれに聞こえるものと聞こえないもの

http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20050205/eve_____sya_____010.shtml

「刑務所にいるころに、『殺せ』というお告げが聞こえることがあった」

 犯罪者が一言「神のお告げ」などと供述しますと、やれ心神喪失で罪は問えないだとか、罰を逃れるためのうそっぱちだとか議論がかまびすしくなるものです。しかし、よく考えていただきたい。あらゆる犯罪は「お告げ」を受けた人間が起こしているものなのですぞ。なになに、「お告げを受けた」なんて供述するのは一握りじゃないかって?それは大違い。彼らのお告げは私たちも皆よく告げられているものなので、当たり前のことだと思っているだけなのです。「あの金が欲しい」「あいつに不幸があればいい」「いい女とやりたい」……、どれも私たちの心にしょっちゅう告げられていることではありませんか。たまたま氏家の場合は「人を殺せ」だった。それだけの話なのであります。
 では、すべての犯罪者は精神異常だから罰するなとでも言うのか?とんでもない、みんな「お告げ」を受けている。そして、エラーを犯した(実行した)人間は「お告げ」の種類にかかわらず、等しく罰せられるべきなのであります。「お告げ」の種類は関係ない。結果が全てなのです。この事件を機に「氏家という苗字の人間は危ない」「将来の夢に‘国会議員’と書いた子どもには犯罪傾向がある」「弁当を隠して食うやつは殺人者になる確率が高い」などと不毛な論が起こらぬことを願うばかりです。