グランツーリスモ4/我らがパーキー・パットの日々

『パーキー・パットの日々』フィリップ・K・ディック
ASIN:4150109109

 新しい車を買う余裕もなく、七十九年式ブルーバードとシルビアの最終形でレースに出て、ちょこちょこ小銭を稼いだ。……と私は書く。上に「ゲーム」「グランツーリスモ4」と記述されている以上、これはゲーム上の話、架空の話であることは明白だ。けれど、最初のワンセンテンスのみを純粋に取り出せば、私は古いブルーバードと新しいシルビアのオーナーで、さらに新しい車を欲していることになる。そして私は、私が一台の原付も買えない実生活とは別に、この得体の知れない人物として、それなりの満足と充実とを以て、そのカーライフを楽しんでいるのだ。これは私のパーキー・パット人形。あるいは皆のパーキー・パット人形。
 ただ、グランツーリスモ4で送るパーキー・パットの日々に足りないのは、他プレイヤーの存在だ。このゲームでは人間の要素がほとんど排されている。せいぜい人影はオイル交換作業員や、ピット作業員くらいのもの。レースを走るライバルたちは単なる自動車の名前でしかないし、プレイヤー自身の名前だって最初に入力したゲーセンのハイスコアネーム程度のもの。ここが目下の不足部分に違いない。得体の知れないカーライフを送るライバルプレイヤー。ある者はノーマル市販車でサンデーレースを楽しみ、ある者はGTカーに乗り大レースで華々しく活躍する。そういった他者がいれば、よりパーキー・パットの日々は充実する。それは別にオンラインゲームである必要はないし、また、オンラインゲームになってもいいだろう。
 本当にスポーツカーを所有できる層と、一生手が届かない層。後者の恵まれない人生にも何らかの慰みが必要だ。それも、高価あってはならない。充実を得られなければならない。私もそうであろう後者の人間が日夜自動車絶望工場で自動車を組み立て、前者の人間が組み上げられた自動車を買う。後者の人々はわずかな賃金からパーキー・パットの日々を送る。それでこの世はなべてこともなし。ゲームメーカーには、より安価で素晴らしいパーキー・パットの制作に邁進して欲しい。