麒麟によってもたらされた天上の美酒について

goldhead2005-03-02

 暦は三月となりましたのに、まだまだ寒い昨晩。すっかりと日も落ち、家々の窓からこぼれる燈火を横目に我が吹きっさらしのアパートに戻りましたら、ドアの隙間に紙が挟んであるのが見えました。抜き取って確かめてみますと、運送屋の不在通知でありました。はて、身に覚えのない話だと送り主の名を見ますと、手書きで「(株)キリン」、内容物は「ビール」と書かれているではありませんか。これは何かの懸賞に当たったのだとしか考えられません。まだ九時になる前でしたので、運送屋さんに電話したところ、偶然にも近くにいるので、すぐに来て頂けるとのことでした。私は部屋着にも着替えず、いったい何が送られてくるのかと思いながら、意味もなく玄関周りの掃除などをしておりました。すると、幸運を知らせる呼び鈴が鳴り、私は存外の贈り物を手にすることと相成ったのです。
 ワンルームのアパートの、玄関から部屋の中央まで。六缶入りダンボールのパッケージを運ぶ私の腕にかかる心地よい重み。おお、ボスポラスより東、全ての金銀財宝をしてこれに敵いうる重みはありますまい。私は私の居場所であるザブトンを明け渡し、天からの恵みを子細眺めることとしました。その側面には「やわらか」と、天使の飛翔が描く放物線の如き滑らかな字で記されているではありませんか。「やわらか」! 私はその味をすでに知っている。「やわらか」!おお、その酵母の醸し出す母なる乳の如き豊かさを知っている! 「やわらか」!透き通った黄金の中に舞い泳ぐ天使たちの宴!
 私は興奮のあまり、座布団に鎮座する「やわらか」六缶入りのダンボールを写真に撮り、親しい人に打電しました。私はそれに付した文面にこう記しました「人生にこの様な祭りは二度とあるものではありません!」。
 日々の終わりなき貧しい生活。冷たい風に打たれ、待つ人も居ない部屋に帰る夜。そこに届けられた思いがけぬ恩寵。おお、この喜びを祝おうではありませんか。私は冷蔵庫から祝い事のために取っておいたビールを出して。その銘柄はもちろん「キリン・クラシック・ラガー」。
 おお、天地が開闢して以来、これほどの技術と美徳に溢れた酒造業者がおりましたでしょうか。汝、葦原の千五百秋の瑞穂の国を駆け回る金色の麒麟よ、ディオニソスに愛されし者よ。私はこの日をこの身が朽ちて舎利になろうと、この哀れな魂に刻まれた恩は忘れはしないでしょう。気ままに歌う鳥たちよ、今宵ばかりは麒麟のために歌っておくれ。木々になびく葉擦れの音よ、今宵は麒麟を讃える歌を歌っておくれ。では、琥珀色の甘露を愛する全ての同胞よ、Cheers!