日曜日の夜、私は回鍋肉を作った。私がそのことを人に話すと「それは回鍋肉ではない」と言われた。私の回鍋肉には、肉は入っていなかった。それでも私は、それを回鍋肉と呼びたい。
私はその日の午後、百円ショップで回鍋肉のソースを買った。小袋二つ入りだ。いずれ、使うこともあるかと思ったのだ。まさかその晩に使うとは思わなかった。しかし、使うことになってしまった。私の献立に計画性の三文字は皆無だ。いざ晩になり、米が炊けようというときになって、ろくな材料がないことに気が付いた。しかし、そこを何とかするのが知恵だ。そして、余ったキャベツを活かすべく、肉抜きの回鍋肉ができあがった。他の具はニンニクの芽と大根だ。ソースの色が染み込んだ大根は、肉のように見えた。味は、立派な回鍋肉だ。
私はおかずを作る食生活にほとほとあきれかえった。この食卓を成立させるには、幾たびもスーパーに足を運ばなければならない。さまざまな食材を買わなければいけない。お好み焼きを主食にしているときは良かった。頭の中の「粉メーター」「卵メーター」「キャベツメーター」「肉メーター」に気を配り、減ってきたら補給すればよかった。ついでに、その時々の安い食材を使って変化を付ければよかった。
おまけに、私は太りそうな予感がある。一食一カップ分の米。これが私を重くしている。広がった胃袋は、昼も悲鳴を上げる。目下の所、「銀シャリはお祝い事の時だけに限るべきではないのか」という会議の真っ最中だ。肉を食っていないせいで、血のめぐりがいっそう悪くなった私の頭の中で。