社会見学の思い出

 今朝、山手の駅のホームの一部分が大勢の子どもたちに占領されていました。背の高さからすると、おそらく五、六年生ではないでしょうか。中には金髮にキラキラのファッションで、即座にギャル戦線に投入できそうな女の子などもいましたよ。世の中の服の流行は移り変わるものと思いますが、今ほど小学生の服装ともっと上の若者の世代の服装が近くなったこともないと思います。そういった市場が成り立って、お金が欲しくなった子どもたちが何をするかというのは、また別の話ですけれど。
 そんな大人びた服装の彼らですが、キャーキャー言いながら駅で電車を待つ理由は遠足、あるいは社会見学に他なりません。周りの乗客たちも迷惑そうに眺めていますが、おそらくみんな眺められた経験を持っているのでしょう。子どもはとにかく五月蠅い(あえて漢字を使いますね)存在、こればかりはどうしようもない。
 そんな子どもたちの社会見学に、あえて通勤ラッシュを体験させようという小学校がありました。言うまでもなく、自分の通っていた小学校なのですけれどね。行き先は東京見学で、朝の上りの東海道線に乗るという暴挙でした。これで、サラリーマンの大変さを体験させようという目論見だったのでしょう。はっきり言って馬鹿です。迷惑以外の何ものでもありません。だいたい、朝のラッシュなんてものは、人によっては高校にでも進めば嫌でも体験するものじゃないですか。サラリーマンの大変さを理解させようという以前に、朝の通勤ラッシュにさらに百人単位の子どもを送り込むことによって、周りの人にどれだけ迷惑が掛かるかという想像力がない。もしも子どもが全員黙っていたって恐ろしく邪魔なことには変わりありません。
 そんなわけで、朝のラッシュに押しつぶされながら、通勤勤労者の方々の刺すような視線を感じたものです。しかし、視線だけだったらまだましです。私は、怒った一人の通勤者から蹴られたのです。私はあまりはしゃぐようなタイプではなく、ただ黙って地獄に耐えていただけなのですから、まさに運が悪いとしかいいようがない。かといって、どう考えても自分たちが悪い、ということは、社会見学の概要を聞いたときからわかっていたので、騷いだりなんだりもせずにやりすごしたものです。それに、ラッシュの中で教師がどこにいるのかもよくわかりませんでした。
 そして私は、社会見学の感想文のほぼ全編を、自分が蹴られたことと、それを引き起こした計画の批判に費やしました。返ってきた教師の批評は「たいへんでしたね。サラリーマンの苦労がわかりましたね」といったもので、もうどうしようもないな、というものでした。よく、学校の教師は世間知らずだ、などと言われます。私はそうではない教師も居ると信じてはいますが、自分が六年間公立学校に通った感触では、世間知らずも少なからずいることに疑いを持つことができません。
 本当はこの項、別の遠足の思い出を書こうと思ったのですが、ふと電車に乗るシチュエーションから別のことを思い出してしまったと付記しておきます。