日本には力強いおっさんが少ない 『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』を読む

 

はじめに言っておくが、おれは『ハマータウンの野郎ども』を読んだことがない。

 

というわけで、おれはブレイディみかこの記した「ハマータウンのおっさんたち」についてしか知らない。

ハマータウンのおっさんたちは、ハマータウンの野郎どもがおっさんになった、おっさん姿の野郎どもである。おっさんといっても、もう60代とかそのあたりであって、「もう35歳だしおっさんだよ」という甘いものではない。

それでも、英国のおっさんたちはワイルドなのである。少なくとも、ブレイディみかこの周辺にいる、ワーキングクラスのおっさんたちはワイルドだ。ワイルドでありながら、わりとリッチだったり、やっぱりしょうもなかったり、死んだりするが、ワイルドサイドという感じがする。

どうにも、日本にはこのあたりの層がいないのではないか、などと思った。英国ほど明確ではないものの、日本にだってワーキングクラスはいただろうし、荒くれ者の野郎どももいたはずである。それが、どうにもおっさんになってしまうと、弱まってしまっているように見える。少なくとも、パブに集まってビールかっくらって(こういうのも最近のヘルシー志向にも押されているらしいが)、政治談義(ブレグジットなど)に花を咲かせたりたりはしていないようだ。

どうにも、日本のおっさんはおしなべて弱い。これは、昭和のころからそうだったかもしれない。おれは昭和のサラリーマン四コマ読んで育った世代だが、日本のおっさんというのはなんとも情けないものだ。なんかヘコヘコしている。若者から忌み嫌われる。近年はその傾向が一向に強くなっている。日本社会を停滞させている原因は、パワハラ、セクハラ体質の一向に抜けない、それでいて責任を取らないような組織の犬みたいなおっさんのせいである、というような感じだ。

そういうおれも、もうおっさんの世代である。おれはおれなりに現代というものに適応しつつ生きようと思っているが、もう老いてしまった感覚、価値観、精神というものからは逃れられない。そして、かつて「若き野郎ども」でもなかったし、そういうマチズモとも無縁というか、なりたくてもなれないひ弱な肉体と貧弱な頭脳の持ち主だった。それがおっさんになっても、ワイルドサイドを歩くことはできない。せいぜい、耳に三つピアスしてるくらいしか特徴のない40代だ。いかにアナキズムと反出生主義を語ろうとも、語る相手がいないのでネットに書き散らすだけだ。毎晩死にたいと思って、狭いアパートで過剰飲酒をしている。終わってる。

日本のおっさんは終わっている。しかし、どうもハマータウンのおっさんたちは終わっていないように見える。野太い力強さがある。生きているって感じがする。労働者であることはなにか。労働者が歯向かうべきはなにか。そのあたりについて自覚がある。ブレグジットなどでは、その対象についてどうしたものかと戸惑ったところもあるようだが、どうにもなにかある。

どうにもなにかないのが日本のおっさんである。団塊の世代である。おれは団塊ジュニアにあたるのだろうが、上を見てもそうである。人数だけ多く、意味もなく威張っていて(コンビニやスーパーなどで)、社会にとって邪魔じゃないのか、経済にとって不要なのではないか、そんなふうに思われている。思われている彼らは、はるか昔に学生運動で挫折するか、そんな高踏な思想とは関係なくただひたすら働いてきたか……。

働くといってもサラリーマンがたくさんよな。そして、サラリーマンがワイルドサイドということもないし、サラリーマンでない人はワイルドサイドかもしれないけれど、なんかつるんで社会で存在感を示しているようにも見えない。

どうにも、日本のおっさんは社会の邪魔者でしかないようだし、力強さも感じない。おれも邪魔者だし、力強さもない。かといって、日本が若者の牽引する新しい力に満ちた国という感じもしないし、日本終わってる。