IPPONグランプリを見て大喜利コミュニケーション社会の辛さを思う

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だいたいテレビで放送される競技的な番組は、われわれ凡人にはできなことをする人たちの競技だ。スポーツやらなんやら。もちろん、歌謡や芸能なども含まれてくる。

そんな中で、見ていて辛くなってしまうのは、たとえばIPPONグランプリであったりする。おれとプロ野球や大相撲、あるいは将棋は地続きではないけれど、IPPONグランプリ、要するに大喜利の勝負はどこかでつながっているような気がする。

それはもう、日常の会話からの連続、その遠くということである。どこかで「松本人志大喜利文化が嫌だ」みたいな言葉を読んだが、たしかにそうだ。おれたちはあまりバットやグローブを使うこともなければ、フィギュアスケーター用のスケート靴を履くこともない。だが、言葉はかわしている。その言葉のなかに大喜利がある。

なにか話を振られたとき、なにかを見たとき、なにか気の利いた一言を言わなくてはならないのではないか。これがプレッシャーとなる。もちろん、われわれは芸人ではない。大喜利向きの芸人ではない。しかし、なにかおもしろい一言、リアクションが求められているのではないか。そう思うと、その重圧は厳しい。

ネットでのやりとりもそうである。はてなブックマークにしろ、ツイッターにしろ、一発回答が求められている。それも、ウケるやつだ。そう思うと、しんどくなる。まあ、ネットでのそれは、スルーすることでやり過ごせるわけだけれども。

というわけで、おれはIPPONグランプリを見て、笑いながら、その重圧というものにしんどくなったのも事実である。とはいえ、やはり一流の芸人がはじきだす答えというものはすばらしく、おれはそんなものを見て笑っていたいと思うのではあるが。

 

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