『あいどる』ウィリアム・ギブスン/浅倉久志訳

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「あなたは“ネイチャー”を意味する単語が、ごく最近の造語であることをご存知ですか? その歴史はたかだか百年くらいなんです。ミスター・レイニー、われわれはテクノロジーを敵視する観点を発展させずにきました。テクノロジーは自然の一側面です。われわれの努力をつうじて、合一はそれを完成させるでしょう」桑山は微笑した。
「そして、大衆文化がわれわれの未来のたたき台なんです」

 いや、びっくりした。『ヴァーチャル・ライト』(以下『VR』)がいまいちだったので、姉妹編とも言えるこちらもあまり期待していなかった。が、これは目を見張る復調ぶりだ。わかりやすく言えば、京都大賞典で七着に破れたスペシャルウィークが、その後天皇賞(秋)レコードタイムでブッコ抜いたようなものだ。流石にダービー馬、ヒューゴー賞馬、ネビュラ賞馬は違うのである。
 とはいえ、不満がないわけではない。たとえば、『VR』同様に複数の視点から話が進んでいき、それが合流するというやり口。これはややテンポとスピード感に欠くように思える。それに、またもや聖杯争奪戦なのだけれど、その焦点がぶれているところも不満。また、主人公の元上司の女など、果たして出てくる必要があったのかというキャラも。そのあたり以外は、ほぼナイス。
 『VR』との違いは、やはり電脳空間が舞台の半分を占めることだろう。短編集を読んだ以上、「電脳を描いてこそのギブスン」とは言わないけれど、前作はバランスが悪かった。そして、こちらに描かれる電脳空間は素敵だ。表題の「あいどる」もその世界のみの存在で、ギブスンの短篇「冬のマーケット」のリーゼや、本書の解説で久々に名前を見た伊達杏子(今どこで何をしているのだろう?)、あるいは『マクロスプラス』のシャロン、そんな感じか。もうちょっと出番あってもよかったかな。それこそ彼女の視点で話が進んでも。
 そして、もう半分の舞台となる日本、東京がもっとすばらしい。「ガイジンの目から見た奇妙なニッポン」と言えなくもないが(ポカリスエットという名称にツッコミを入れたりしてる実際の例であることをメモしておく)、それ以上にマジよく見てるって感じがする。そして、現実の東京の方がさらに混沌としてきてるあたり、負けてないぜ日本と思う。秋葉原に跋扈する‘メイドさん’に、電脳犯罪を繰り返す中国人ハッカー(映画『イノセンス』で「デコイ」とか言ってた人たちみたいな感じだろか?)。
 そして何よりいいところに目を付けたと思うのが、「ラブホテル」。そうだ、ラブホだ、ラブホこそがこの国の文化の結晶。場末感漂うロビーに芳香剤の匂い、いつからそこに座っているのかフロントのおばさん、というところもあれば、完全無人化にBOSEのステレオ、ブラックライトで浮かぶディズニー・キャラにレインボー・ジェットバスというところもある。しかしやることは人類の歴史の曙のころから一緒だ。ああ、俺は九龍城級のラブホテルの夢を見る。今や昔のあらゆる雰囲気、技巧が無茶苦茶に繋ぎ合わされたラブホ。俺はその一室で暮らしたい。
 話が逸れたか。まあいいや。やはり翻訳は黒丸尚という人の方がいいな、とは思ったが、亡くなったというのだから仕方ない。浅倉翻訳者にしても、自分のスタイルがある人だろうから、黒丸風パスティーシュをするわけにもいかないだろうし。ともかく『あいどる』が読める作品であったことで、今後ギブスンを読む楽しみが増したので喜ばしい限りである。